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2009年1月30日 (金)

消費税の話。上げることに反対はしませんが、、、

麻生首相は、「中福祉・中負担」と言うことで、消費税を3年後に引き上げると言うことにご執心の様です。

 

今は、世界的に景気が減速して極端な需要不足が生じ、どの国も経済状態が非常に悪くなっています。

そこで、どの国もケインジアン総動員体制?で、財政支出(政府の直接支出、減税など)をやって需給をバランスさせ、景気浮揚を図っています。

ところが、その真っ只中で、それにまったく逆行する「増税」の話をしているのが、我が国の現状です。

こんな漢字も空気も読めない首相を持ってしまったと後悔するだけでなく、この国の景気は世界で一番最後にしか浮揚しないのではないかと心配になります。

 

食欲がなくなって体力が落ちている人に、周りが何とか食事をさせようと努力している最中に、

「お前、太ってるな。食べ過ぎるとメタボになるぞ。ダイエットしろ」

と、言う様なものでしょう。

確かに太りすぎは良くありませんから、食事に気をつけろと言う忠告は間違いではありません。ただ、タイミングが、、、、

 

そんな、まったく場違いの増税論議ですが、少し気になっているのは、

「諸外国の消費税は、みんな10%を越えている。日本は低い」

と言う議論です。

 

もっと、きちんと研究をされている方がいらっしゃると思いますので、ヴォータンは気になったことだけ書き留めさせて頂きます。

 

仕事がら海外によく行くので、確かに付加価値税の高さには驚きます。

 

そこで、先日英国に行った時に

「こんなに高い付加価値税がかかるんじゃ、生活が大変だろ?」

と聞くと、

「確かに高い。でも、ゼロ・タックスもあるから、『生活が、、』と言われても、ちょっとどうかな?と思う」

と言う返事が帰ってきました。

 

「ゼロ・タックス??」

 

何じゃそりゃ?と言うことで、聞いてみると、食料品(定義が難しいんですが、どうも「自宅で加工する必要があるもの」と考えると大体当りみたいでした)、本、住宅、子供服などなど、色々なものに税金がかかっていないそうです。

 

食料品と本が非課税と言うのは大きいですね(ヴォータン的には)。

 

もちろん、こんな瑣末な話で「税負担率」と言った大きな議論は出来ませんが、少なくともありとあらゆるものに消費税がかかると言う状況で、「5%だから低負担」と言うレッテルを貼るのは気をつけておいた方が良いと思います。

 

ちなみに、あちらのスーパーなどは内税式なので、自分の買ったものがゼロ税率か17.5%(英国)なのかは、残念ながら分りませんでした。

 

2009年1月27日 (火)

竹中平蔵「闘う経済学」

以前、竹中氏が大臣を辞めた直後に書いた

「構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_c6f8.html

構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌 Book 構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌

著者:竹中 平蔵
販売元:日本経済新聞社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

をご紹介しましたが、こちらはタイトルは何やら怪しげですが、かなり普通の経済政策論の入門書です。

闘う経済学―未来をつくる「公共政策論」入門 Book 闘う経済学―未来をつくる「公共政策論」入門

著者:竹中 平蔵
販売元:集英社インターナショナル
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ヴォータンは、竹中氏の特質は、きちんとまっとうな経済理論に立脚した政策を打ち出すことに加えて、それを現実の政策に持ち込む技術論にまできちんと頭が回ることだと思っています。

理論的に正しいことを象牙の塔の中で言うことは、そう難しいことではありません。

しかし、政策となると「経済理論」の話ではなく、民主主義の政治プロセスの問題、社会学的な問題が絡んで来てしまい、結局実現できないと言うことが多々あります。

本書でも

「経済政策を含めてすべての政策は、民主主義の政策プロセスを経なければ決定できない(中略)。つまり政治的な実現可能性を念頭においた政策論議が必要となる」

と述べています。

その辺りをきちんと理解し、且つどうすれば実現できるかと言うところまで詰めることが出来る日本には稀な学者だと思います。

 

もう一つ挙げるならば、難しいことを理路整然と分かりやすく説明する能力の高い方だと思います。

本書は、教科書も意識している様で数式も出てきますが、決して難しいものではありません。

是非、一読をお薦めします。

2009年1月23日 (金)

金融検査マニュアルの改定?

ヴォータンは、一応日本の銀行に5年以上在籍したので、ちゃんとお札が扇子の様に開きます(*^-)vィェィ

(今は、そう言う芸当を披露する機会は、飲み会の幹事の時ぐらいですが)

 

ただ、ほとんどをディーリング・ルームで過ごしたので、銀行員のシッポが残っているのはその程度で、はっきり言って三重苦の銀行員でした。

 

1)預金が集められない(_o)?  (o_)?

2)貸し金が打てない(-.-)

3)稟議が書けないφ(。。)(-_-;)オイマダカ

 

と言う訳です。

 

ですから、貸し出しに関して、以前から問題にしている様な、

 

「住宅ローンはノン・リコース・ローンに規制しろ」

「法人向け貸し出しに、個人保証をつけさせるな」

 

と言った、マクロ的な話は出来るのですが、はっきりいって現場の話には役に立ちません。

 

そんなヴォータンがこんなことを言うのも何ですが、金融庁のホーム・ページを見ていて????と言う思いを抱きました。

 

トピックスと言う欄に

「中小企業の皆様へ」

(中小企業向け貸出金の条件緩和がしやすくなりました)

と言う項目があったので、クリックすると、、、

 

このタイトルが、どぎつい黄色と赤のグラデュエーションになって、画面いっぱいに広がり、およそ公的機関のホームページとは思えないスクリーンに変身しました。

(ほとんど、その辺の飲み屋のチラシ状態です)

http://www.fsa.go.jp/ordinary/20081120.pdf

 

「金融機関が条件緩和を行っても、不良債権にならない取扱いを拡充しました」

と、続いているのですが、

「不良債権にならない取扱いを拡充」

とはどう言うことなのでしょう?

 

金融検査マニュアルの改定とのことですが、世界的に景気後退が激しくなり、金融機関の貸し出しは、当然不良債権化し易い状況となって来ています。

 

不良債権となった場合には、銀行はその損失を償却しないといけませんから、自己資本が傷つきます。

それが、さらに貸し出し力を弱めてしまい、貸し出しが伸びないと言う悪循環に陥ることから、銀行に対する資本注入(自己資本を元に戻す)や、不良債権の銀行のバランス・シートからの分離と言ったことが行われようとしています。

 

その為、世界中で金融機関は、まず不良債権の償却に奔走しながら、景気後退によって不良債権になりやすい危ない融資から手を引こうとしています。

これは、預金を預かっている金融機関としては、健全な行動です。

 

その最中に、

「条件緩和しても、不良債権にならない、、」

とは、一体どう言うことなのでしょうか?

 

不良債権が増えてもいいぞ!

に聞こえるのですが、、、、

  

これは、ヴォータン以上に貸し出しの現場を知らない官僚の作文だとしか思えません。

どう読んでも

「今までだったら、不良債権となるものを、基準を変えて不良債権とは『見なさないことにする』」

と言っている様にしか思えません。

 

野球をやっていて、

「今までは、ホーム・ベースと一塁・三塁ベースを直線で結んだものがファウル・ラインだったが、今からはその外側1mまではフェアとする」

と言われた様な気がしますし、もっと、感じとして近いのは、ボクシングをやっていて、片方の選手がグロッキーになったところで、

「今までは、1ラウンド3ダウンでKO(不良債権)だったけど、今から5ダウンまではKO(不良債権)とはしない」

とルールを変えたと言っているのと変わらない様に思えます。

 

銀行で貸し出しの現場にいらっしゃる方は、このホーム・ページをどうご覧になっているのでしょう?

 

日頃の金融庁の検査で、異常なまでに厳格な審査を要求されている皆さんには、アンパイヤやコミッショナーが、突然ルールを変えた様に見えるのではないでしょうか?

 

しかも、不良債権が増えて苦しむのは金融機関であって、金融庁ではありませんし、むしろ金融庁から叱責を受けるのではないでしょうか?

 

「不況期に中小企業向け貸し出しが落ちない様にする」

為には、重箱の隅をつついて穴を開けてしまうような検査に没頭するのではなく、

「銀行が株式を保有することを禁止する」

「預金の一定額以上の投資を禁止する」

「自己資本規制比率をBIS基準より厳しくする」

と言う、マクロ的な金融政策をきちんとやっておくべきだったはずです。

 

日本の銀行が、株式持合いと称して株を大量に持っている(それを自己資本としてあてにしている)ので、景気が悪くなって株価が下がると、貸し出しが出来なくなると言うまずい体質になっていることは、周知の事実のはずです。

 

だから、銀行は

「晴れの日に傘を押し売りに来て、雨になると取り上げる」

と言う、行動を取らざるを得ないのですが、、、、

 

ちなみに、米銀は株式保有を禁止されていることも申し添えておきます。

2009年1月22日 (木)

決定版!オバマ大統領就任演説(全文翻訳)

昨日の午前2時。

オバマ新大統領の就任式を見ました。

宣誓の時に、途中で何故か言いよどんだんで???と思ったんですが、ロバーツ最高裁長官の方が緊張してしまって、言い間違ったんだと思います。

宣誓の文言は決まっているので、オバマ大統領は暗記していたでしょうから、相手が間違った時、間違ったまま復唱するべきかどうか迷ったんでしょうね。

 

就任演説も堂々としたものでしたね。

「言葉の威力」を感じさせるに十分なものでした。

 

と言うことで、夜中に寝ぼけて聞いていても良く分らない部分があったので、英文草稿をネットで探して読んでいたのですが、これが意外に難しい。

 

そこで、翻訳を探したら、これがまた悲惨。

 

誤訳やらすっ飛ばしやら、、、もし、プロの翻訳家がこれでカネを取っているんなら、間違いなく詐欺ですね。

 

例えば、最もまともだと思った日経新聞(どうやら、ワシントン支局の記者が訳したようです)ですら、

「偉大さは働いて得たものでなくてはならない」 (働く?)

「我々の収容力は衰えていない」 (収容力?)

「太陽、風、土を使い自動車を動かし」 (土で自動車を?)

「白昼堂々と仕事をしてこそ、、、」 (白昼堂々ねえ?)

「共産主義を倒したのはミサイルや戦車ではなく」 (戦車「だけ」ではなくだと、、、)

「(テロリストに対して)あなた方は我々より長続きすることは不可能であり」(長続きって?)

 

なかなか傑作ですが、読んでいる方は、日本語であることは分っても、何のことやら分らないと思います。

そこで、決定版と思われる翻訳を掲載させて頂きます。

 

これなら、すんなり頭に入るかと、、、、

++++++++++

私は今日、皆さんから寄せられた信頼と、我々の祖先が払った犠牲を心に留め、我々に与えられた任務に思いを馳せながら、厳粛な思いでこの場に立っています。

ブッシュ大統領が、わが国の為に果たした貢献と、政権の移行に際し、寛容でありまた協力を惜しまなかったことに対し、感謝の意を表したいと思います。

これまでに44人のアメリカ人が、大統領としての宣誓を行なってきました。宣誓は、繁栄の波と平和の穏やかな水面に恵まれた中で行なわれたこともありましたが、暗雲がたち込め嵐が吹きすさぶ中で行なわれたこともしばしばありました。

この試練の時に、アメリカが前進を続けてきたのは、単に為政者や官僚の能力やビジョンがすぐれていただけではなく、アメリカの国民が、先達の理想を信頼し独立宣言に対して忠実であり続けたからです。

これが我々の歴史であり、今に生きるアメリカ人もそうあるべきなのです。

我々が危機の真っ只中にいることは、皆さんもよくご存知の通りです。我が国は暴力と憎悪の網を広く世界中に張り巡らそうとする勢力との戦いの中にあります。

また、米国経済は一部の人々の貪欲で無責任な行動の結果だけでなく、我々自身が厳しい選択を避け、次の世代の為の国づくりをきちんとやってこなかった為に、非常に弱体化しています。

住む家も職も会社も失われてきました。我が国で医療を受けようとすると、あまりにお金が掛かりすぎます。またあまりに多くの学校が荒れてしまっています。

我々のエネルギーの使い方自身が、我々の敵を強くしてしまい、また地球を危機に追い込んでいると言うことは、日増しに明らかになって来ています。

今挙げた例は、危機がまさにあること言うことを、データや統計に基づいてお話したものです。

どの程度なのかと言うことを示すことは難しいのですが、「アメリカが没落することは必然である」とか、「次の世代の未来は明るくない」といった不安感にさいなまれ、アメリカ全体が自信を失ってしまっていると言う深刻な事態であることは、間違いありません。

私は今日ここに、「我々は現実問題として、非常に深刻な多くの試練に直面している」と宣言します。これは簡単に解決出来るものでもなければ、すぐに解決出来るものでもありません。

しかし、我々は知っているではありませんか。アメリカがこれらの問題を解決する日が必ず来ると言うことを。

我々が今日この場にいるのは、恐怖ではなく希望を、争いや仲違いではなく目的に向かって団結することを選んだ為です。

我々は今日この場で、つまらない不平を言い立てたり、出来もしない約束をしたり、批判の為の批判をしたり、時代遅れの教条主義に陥ったりして、あまりに長きにわたって我が国の政治を無能にしてきたものと決別することを宣言します。

アメリカは若い国です。しかし、聖書には、子供じみた振る舞いをやめる時が来たと言うくだりがあります。

我々の不撓不屈の精神を再認識し、より良い歴史を作り上げ、「神は、すべての人は平等であり、すべての人は自由であり、すべての人に幸福を最大限に求める機会が与えられると約束された」と言う何世代にもわたって受け継がれて来た、高貴な理想、貴重な賜物を次の世代へと引き継いでいく時が来たのです。

アメリカが何ゆえに偉大なのかと言うことを省みると、偉大さとは決して与えられるものではなく、勝ち取らねばならないものであることが分ります。

アメリカがこれまでにたどって来たのは、近道でもなければ平坦な道でもありませんでした。その道とは、働くことよりも享楽にふける事を好んだり、豊かになり名声を得ることだけを追い求めたりする意思の弱い人の歩む道ではありませんでした。

我々の歩んできたのは、リスクに敢然と立ち向かう人、実行力のある人、様々なものを作り出す人の道なのです。一部の人々は賞賛を浴びることとなりましたが、多くは、長くつらい行程を歩み、我々を繁栄と自由に導きながら、その働きを知られることはありませんでした。その道とは、この様な人々の歩んだ道なのです。

彼らは、我々の為に、世俗的な欲望などを持たずに、新天地を求めて大海原を越えて来たのです。

彼らは、我々の為に、劣悪な条件の工場で根気よく働き、ムチに耐えながら荒地を耕して、西部を開拓したのです。

彼らは、我々の為に、コンコード*や、ゲティスバーグ、ノルマンディーやケサン**の様なところで闘い、死んだのです。

*コンコード:独立戦争の激戦地

**ケサン:ベトナム戦争の激戦地

彼らは何代にもわたり、我々の生活を向上させる為に、手が荒れてしまうまで働き、もがき苦しみ、犠牲を払って来ました。

彼らは、アメリカとは、個人の大望を集めたものよりも大きく、生まれや富、党派を超えた偉大であると考えていたのです。

これこそが我々が今日たどっている道なのです。

アメリカは地球上で最も繁栄し、最も強大な国家です。アメリカの労働者の生産性が今の危機が勃発した時と比べて落ちている訳ではありません。先週、先月、いや去年と比べて我々は創造心を失った訳でもなければ、我々の商品やサービスが必要とされなくなった訳でもありません。我々は依然として高い能力を持ち続けているのです。

しかし、過去に固執し、ごく限られた人の利益を守り、気の進まないことの意思決定を先延ばしする時代は、間違いなく過去のものとなったのです。

我々は、今日から立ち上がり、ホコリを払い、アメリカの再建と言う作業に再び取り掛からねばならないのです。

どこを見渡しても、我々がやるべきことがあります。経済の状態を見れば、思い切ったそして迅速な行動が求められていることが分ります。我々は間違いなく行動を起こします。そして、単に新たな雇用を生み出すだけではなく、成長の為の新たな基盤を作っていきます。

我々は、商業活動や人々の結びつきを支える配電網やデジタル通信網、道路、橋を作っていきます。また、科学を本来あるべきところに位置づけ、科学技術の発達により医療の質を向上させコストを下げていきます。

さらに、自動車の燃料とし、工場を動かす為に、太陽光や風力、農業を利用して行きます。初等から大学まで教育改革を推し進め、次世代の要求に応えられるものにします。

我々はこれらをすべてやることが出来ますし、やり遂げて行きます。

さて、中には我々の制度は、これほどまでに多くの大掛かりなプランに耐えられないであろうと言う事を示唆して、「我々がやろうとしていることは、規模が大き過ぎるのでは無いか」と疑念を持つ人がいます。

その様な人達は、過去の歴史を覚えていないのです。

この国が成し遂げてきたこと、想像力が共通の目的と結びつき、勇気が与えられた時に、自由な国民が何を成し遂げることが出来るのかを忘れてしまっているのです。

皮肉な見方をする人達は、地殻変動が起きているということに気付いていないのです。

長い間我々の時間や体力を無駄に費やさせてきた、古臭い政治的な論争点はもはや通用しません。

我々が今日議論すべきなのは、「政府が大きすぎるのか小さすぎるのか」と言うことではなく、国民が適正な収入を得る仕事を見つけ、医療サービスを受けることが出来るようになり、自信と誇りをもって引退出来るのかと言うことに関して、政府が機能するのかと言うことなのです。

その答えがイエスである分野に対しては、我々は前進を続けようと思います。ノーと言うことであるならば、歩みを止めます。

我々公金を管理する者は、適切に支出し、悪弊を改め、業務をガラス張りにする責任があります。何故ならば、それだけが国民の皆さんと財布との間にしっかりとした信頼関係を取り戻す手立てだからです。

市場の力と言うものが、善であるのか悪であるのかと問うことには意味がありません。富を生み出し、自由を広げるという点で、市場にかなうものはありません。

しかし、今回の危機は、きちんとした管理がなされていないと、市場は制御不能となってしまうと言うこと、その結果国家と言うものは富める者のみを優遇していては、長く繁栄を続けることが出来ないと言うことを我々に思い起こさせました。

我々は、経済がうまく言っているかどうかと言う点に関して、単にGDPの大きさで測るのではなく、繁栄の恩恵がどこまで広範囲に及んでいるのか、やる気のある人みんなにチャンスを与えることが出来ているのかと言ったことをいつも見てきていました。これは慈善と言う観点からではなく、我々の共通の利益にたどり着く為の最も確実な道だったからです。

国家の防衛と言うことに関して、安全と理想を両天秤に掛けて選択をせねばならないと言った考え方は、間違っています。建国の父達は、我々が想像することすら出来ないほどの大変な危難に直面した際に、法の支配と国民の権利を保証する為の憲章を起案し、それはやがて何代ものわたる血であがなわれた犠牲の上に充実したものとなってきました。

この理想は今も世界を照らし続けており、我々はご都合主義で手放すつもりはありません。

巨大な都市から私の父が生まれた様な寒村まで、今日の就任式を見ている世界中の人々や政府に対して申し上げます。

アメリカは、平和で人間としての尊厳を保てる未来を求めるすべての国、すべての男性、すべての女性、そして子供にとっての友人であり、アメリカには再び世界をリードする用意があります。

思い出してください。我々の前の世代は、ミサイルや戦車だけで共産主義やファシズムと闘ったのではなく、頼もしい同盟国と強い信念の下に敢然と立ち向かったのです。

先人達は、力だけでは我々を守ることが出来ず、ましてや我々は力を振り回すことを許されてはいないと言うことを自覚していました。先人達は、我々の力は、むしろ慎重に使われることによって大きくなること、我々の安全は(力の行使の)動機が正しいものであり、模範を示す力があり、謙虚さや自制心を持って物事に対処することから生まれると言うことを知っていたのです。

我々はこの遺産を守る者達なのです。もう一度この原則に立ち返ることで、我々は、国家間のより強い協調と理解と言った、より大きな努力を持って対処せねばならない新たな脅威に対して立ち向かうことが出来るのです。

我々は責任ある形で、イラクをイラク国民の手に委ねると言う作業に入り、強く望まれているアフガニスタンにおける和平に向けて前進します。

古くからの友人やかつて敵対した人々と共に、核兵器の脅威を軽減させ、地球温暖化と言う悪夢を撃退する為に、たゆまない努力を続けていきます。

我々は自らの生活様式について言い訳をするつもりは無く、それを守ることに関して迷いはありません。そしてテロと無辜の人々を殺戮することで目的を達しようとする者達に告げます。「我々の意志はさらに強固となり、敗れ去ることは無い。先に倒れるのはお前達であり、我々はお前達を必ず粉砕する」と。

我々の多様性と言う遺産は強みであり、弱みなどではありません。アメリカは、クリスチャン、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒そして無宗教の人達からなる国家です。アメリカは、地球上のあらゆる地域から集まった言語や文化によって形作られています。

我々は南北戦争と人種隔離政策と言う苦い経験と、その暗黒の時代からの脱却し、より強い結束をすると言う経験をしました。その為、遺恨と言う物はいつしか消え去り、民族を隔てる障害はいずれなくなり、世界が小さくなるに連れて人類共通の博愛の精神と言うものが現われ、アメリカは平和な新時代の先駆者とならねばならないと強く信じています。

イスラム世界に対しては、共通の利益と相互に尊敬しあうという理念に基づいた、新たな関係を模索します。

対立を煽り、自らの社会の病理を西側世界のせいにしている世界中のリーダー達は、自国民は、お前達が何を破壊するかではなく、何を作り上げることが出来るのかで審判を下すであろうことを知るべきなのです。

汚職や詐欺を働き、抵抗するものの口を封じることで権力にしがみついているリーダー達は、自分たちが歴史の裏街道をたどっていることを知るべきなのです。

しかし、その様な者達であっても、自らそのこぶしを解くのであれば、アメリカは手を差し伸べる用意があります。

貧しい国の人々に対しては、農園を豊かにし、清らかな水が流れるようにし、飢えた心と体を満たす為に共に働くことを約束します。

アメリカの様に富める国の人達に申し上げたい。我々はもはや諸外国の人々の苦しみに無関心である訳にはいきません。またその与える影響を考慮することなく世界の資源を浪費することも出来ません。世界は変わっているのです。それに合わせて我々も変わらねばならないのです。

我々の前に現われた道を見つめていると、今のこの時にも、はるか彼方の砂漠や遠い山中をパトロールしている勇敢なアメリカ人のことが目に浮かび、深い感謝と敬虔な心持ちになります。

アーリントン墓地に眠る英霊たちが、時代を超えて我々に語りかけてきたのと同様に、彼らも我々に深い感銘を与えているのです。

我々は、単に彼らが我々の自由を護ってくれているから感謝していると言うだけではありません。かれらこそ人の為に尽くすと言う精神、自分個人と言ったものを超越したものに意味を見出すことの素晴らしさを体現している人々なのです。

そして「今の時代」と定義される今この時こそ、この精神が我々すべての人々の中に共有されなければならないのです。

政府にはどこまでのことが出来、また何をせねばならないのでしょうか?それは突き詰めれば、国民の皆さんが寄って立つ「アメリカ人としての信念と決意」に掛かっていると言えます。

堤防が決壊した時に見知らぬ人を(自宅へと)受け入れる優しさ、友人が職を失ってしまい最悪の事態に陥るのを目の当たりにするくらいなら、むしろ自分の働く時間を短くしようとする無私の心、煙が充満する階段に飛び込んで行く消防士の勇敢さ、また子供を育んで行こうと言う親心、これこそが我々の運命を決定付けるものなのです。

我々が挑戦しているものは、新しい性質のものであるかもしれません。そして、それに対して対処する為に我々が取るべき手段も新しいものとなるかもしれません。

しかし、我々が挑戦して成功するか否かは、勤勉、誠実さ、勇気、公正さ、寛容、好奇心、忠誠心そして愛国心と言った伝統的な価値観にかかっているのです。これらは普遍の価値であり、我々の歴史を通して、前進の為の静かな力となってきたものなのです。

そして今求められているのは、この普遍の価値に戻ることなのです。今我々に求められているのは、新しい時代の責任感なのです。一人一人のアメリカ人が、自分自身、国家、そして世界に対して責任を負うと言うことを自覚することなのです。

その責務をいやいや引き受けるのではなく、困難な仕事に全身全かけて取り組んでこそ、我々らしさが発揮され、我々自身が充実感を味わうことが出来るのだと言うことを自覚して、むしろ喜んでその責務を果たしにいかねばならないのです。

れは、市民権と言うものに対する代償であり契約なのです。

れこそが自信の源なのです。我々は神が定かでは無い運命を形作る様命じていると言うことを自覚せねばならないのです。

れが、あらゆる人種や宗教の人々がこの(就任式が行なわれている)立派なモールに集うことが出来、60ほど前ならば、地元のレストランで食事をさせてもらえなかったであろう父を持つ男が、皆さんの前に立ち、最も厳粛な宣誓を行なうことが出来ると言う我々の自由と信条の意味するところなのです。

我々は何者であるのか、そしてどれほどの道を歩んできたのか、今日という日を、そのことを我々の記憶に留める日としようではありませんか。

アメリカ建国の年。厳寒の時に、わずかな人数の愛国者達が、凍りついた川べりの今にも消えそうな焚き火の周りに集まりました。

首都は放棄され、敵は前進を続け、雪は血で染まっていました。我々の革命(独立)の行方が最大の危機に瀕した時に、建国の父達は以下の文章を読むようにと命じました。

後世にこう語られるようにしよう。厳寒の中で希望と勇気だけが生き残ることが出来た時代、、、、すべての人々が危機に瀕した中で、この都市とこの国はそれに立ち向かった」

アメリカよ。

の厳しい状況に直面した冬、すべての人々が危機に瀕している時に、この永遠不変の言葉を思い出しましょう。

希望と勇気をもって、氷の様に冷たい流れにもう一度立ち向かい、どの様な嵐にも耐えようではありませんか。

我々の子孫たちに、

試練に直面したこの時代の人々は、前進することをやめず、引き返すこともなく、そしてたじろぐこともなかった。地平線の彼方にまなざしを定め、神の恩恵を受け、自由と言う偉大な遺産を運び続け、次の世代に無事に送り届けたのだ」

語り継がせようではありませんか。

Thank you. God bless you and God bless the

United States of America

.

+++++++++

2009年1月19日 (月)

挫折すると言うこと、、、

えーーーー、明けましておめでとう御座います

去年に引き続き、今年も新年最初のブログは大幅遅れになってしまいました。

 

日本の会社と違って12月末が年度末なんで、どうしても新年度の最初は色々と事務的な仕事が多くなってしまいます。

 

と言う訳で、1ヶ月ほどお休みしてしまったんですが、業界から消えた訳ではありません。

 

ただ、

「消えた訳では、、」

は、笑い話ではなくなっていまして、今年は過去10数年きちんと来ていた人からの年賀状が来なかったり、メールを送ったら

「送信不能・未達」

で帰ってきたり=退職と、状況はあまり芳しくはありません。

 

そう言って下を向いてしまうのは性分に合わないので、12月から意識的に元気に飛び(飲み?)回っているのですが、相手が落ち込んでしまっていると、、、つらいものがあります。

「いいよな。お前は、、、」

と、言われてしまうと、返す言葉が無いですね。

 

実は、別に

「外資系にいて解雇になって、、、」

と言うだけがつらい世界ではありません。

 

ヴォータンが20年以上前に辞めた邦銀で勤め上げていた仲間が、落ち込み始めています。

 

入行した時から、偉くなっていけばだんだんとポストが無くなって来て、全員が頭取とは言わなくても役員になるのも難しいと言うことは、分っていたはずなんですが、、、、

 

役員になれるか否かは、

「あいつに、勝った負けた」

と言うこと以上に、その後の老後の生活に大きく響きます。

 

役員にならずに「出向、転籍」となると、それから先は自己責任、役員になっていればその後も銀行が何らかの形で面倒をみてくれる、、、、

その差は、大きいですね。

 

一緒に飲んでいて、

「お前は20数年前、青雲の志を持って○○銀行を飛び出して、、、」

と言われてしまうと、

「俺も、言わないけど苦労したんだよ」

とは言えませんし、かと言って

「うん。俺は運が良かっただけ」

とも言いにくいですし、

「お前も、出てくれば良かったのに」

とは、退職して外資に来た人達が、今ほとんど残っていないことを考えると、ますます言いにくいですし、、、

 

しかも、リターン・マッチの可能性が無いことが分っていて、且つ役員の選出自体、かなり運に左右されることが分っているので、話が続かなくなってしまいます。

 

と言う訳で、やっぱりこちらも気持ちが沈んでしまって、ブログに向かう気力が出なくなってしまいました。

 

次回は、先日六本木の夜に、「バカ騒ぎ」をやってきたので、その話でも書いて明るくなろうと思います。

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