負の成果主義の悲惨な結末(補論)
日本の企業が、外資を真似て「成果主義」を導入することに反対し続けて10年。
結果は先日来のブログでご紹介した通りです。
「負の成果主義の悲惨な結末(再論)」(2008年5月6日)
http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_dc34.html
「成果主義の10年(負の成果主義の悲惨な結末)」(2006年12月10日)
http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/10_aafa.html
もう、言いたいことは全部言い尽くした様な気がしますし、そもそも悲惨な結果が出ているので、いまさらとは思うのですが、、、、
何か、言い忘れていたような気がして気になっていました。
やっと、思い出したので、メモのつもりで書き残しておきたいと思います。
「負の成果主義の悲惨な結末(再論)」
の中の会話で、
「我々外資は実は結構<アナログ>でやっている」
と書いていたのですが、もう少し付け加えると、
「個人ベースでの成果主義」
は、とっていないと言うことを書き加えておきたいと思います。
極端な話、1人で出来る仕事だったら、そもそも会社組織なんていらないんですよね。
「組織で働いて成果がなんぼ」
と言う話ですから、個人に一律に特定の成果を求めたりはしません。
「君にはこれこれをやって欲しい」
と言う話はしますが、ヴォータンが自分のグループの成果を最高のものにする為に、個別に指示しているだけであって、
「○○君、XX契約YY件!達成おめでとう!!」
と言う世界ではありません。
もちろん、
「何故『外資系』を選ぶのですか?(Part II)」
http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/part_f9fd.html
に書いたとおり、やたらと自己主張が強くて、個人が突っ張って前に飛び出してきますが、それと個人ベースの成果主義とは別の問題です。
日本の会社でも、昔から「部の目標」「課の目標」「営業店目標」などなどがあったと思いますが、実は外資も同じです。
ただ、現場の長にボーナスの支給や、採用・解雇と言った人事権があった為に、評価面でより木目の細かい運用が出来たと言うだけです。
つまり、外資と似たものにしたければ、現場に権限を下ろすことが大事だったのに、全然違うことに力を入れて、
「評価のやり方」
にベクトルが向いてしまったことが、失敗の原因だと思います。
歴史的に見ると、日本は外国から入ってきたものを換骨奪胎して、うまく日本的なものに作り変えて利用してきたと思います。
ただ、この成果主義だけは、換骨奪胎に失敗してしまい、本家でもやっていない様な、
「厳密な個人ベースでの成果主義」
などと言うお化けを生んでしまったのではないかと思います。

