2009年6月14日 (日)

「大転換 脱成長社会へ」--経済危機の文明論的考察を読む

大転換―脱成長社会へ Book 大転換―脱成長社会へ

著者:佐伯 啓思
販売元:エヌティティ出版
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佐伯先生はヴォータンの大先輩に当たります(と、言っても8年しか違っていませんが)。

今般の金融危機に端を発した世界的なリセッションに関しては、皮相なアメリカ批判をして溜飲を下げると言ったレベルの低い言説が多く見られます。

その点、佐伯先生は、経済思想史家としての文明論的視座を持っておられるので、非常に知的刺激の多い指摘をされています。

 

特に、今回の金融危機が単に新自由主義的パラダイムの崩壊と言うことに留まらず、近代産業社会の限界、つまり、シュンペーターの言葉を借りれば

「資本主義はその成功ゆえに没落する」

が現実化した「大転換」を示唆しているとしています。

 

もはや資源の効率化を最大限に推し進めることで、物的な豊かさを現出し、人々の厚生を向上させると言うパラダイムが働かなくなり、

「人とモノのゲームから、人と人とのゲーム」

に変化すると言う考察は傾聴に値します。

 

ヴォータンは、基本的には市場原理を優先する立場に立ちますので、全面的に佐伯先生の主張に賛成しかねるところもあります。

しかし、このブログでも、終身雇用を前提とした社会制度を崩すことや、アメリカの猿真似にもならないホワイトカラー・エグゼンプションを直輸入したりと言った、日本的な良さを無くすことに反対してきましたので、先生の

「日本は、外国(特にアメリカ)の真似をしてはいけない」

と言う意見には、まったく同感です。

 

佐伯先生は、フロンティアの消滅により、資本主義の成長エネルギーが枯渇してきている現代では、「社会化」と言う形で、市場経済に乗らない分野を意識的に保護していかなければと主張しています。

 

ヴォータンは市場の失敗の部分に関して、もっとセーフティ・ネットを社会的に張るべきであると考えていますが、先生はさらに一歩進んで、もはや「市場の失敗」と言う形での副産物と見るのではなく、むしろその分野に対して社会として積極的に関わっていくことが必要だと言う訳です。

 

ただ、

「その為には、『政治力』が必要であるが、残念ながら、現在の日本にそれだけの政治力があるとも思われないのである」

「90年代以降の日本の政治は、あまりに大衆情緒やそのつどの出来事に引きずられ、ポピュリズムとスキャンダリズムへと流されてゆく」

「今日の日本の大衆型政治にそれだけの政治を求めるのは、かなり厳しいことではあろう」

と、しています。

 

ウーーーーン、これでは全然救われないんですが、、、、 

 

どうも口述を元にしたらしく、ちょっと論旨が怪しかったり、つながりが悪いところがありますが、頭の体操として読んでおくべき好著だと思います。

2009年6月 3日 (水)

「世界経済危機 日本の罪と罰」「未曾有の経済危機 克服の処方箋」を読む

世界経済危機 日本の罪と罰 Book 世界経済危機 日本の罪と罰

著者:野口 悠紀雄
販売元:ダイヤモンド社
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未曾有の経済危機 克服の処方箋―国、企業、個人がなすべきこと Book 未曾有の経済危機 克服の処方箋―国、企業、個人がなすべきこと

著者:野口 悠紀雄
販売元:ダイヤモンド社
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失礼な言い方になってしまいますが、日本の大学の先生には、金融の実務に関しては、ほとんど素人同然の方が大勢いらっしゃいます。

 

「為替の先物レートが、将来の為替レートの水準を規定している」

と言う、珍妙な論文を見て、ひっくり返ったことがありますが、事実です。

確かに、超長期的には金利水準=インフレ率と考えると、購買力平価説から

「為替レートを規定している」

と言えないこともないでしょうが、6ヶ月やそこらの先物レートで

「将来の為替レート云々、、、」

と言われたのでは、ビックリしてしまいます。

 

余談はこの辺にして、この野口悠紀雄先生は、日本版MBAを目指していらっしゃるだけに、実務家との情報交換もきちんとされている様で、浮世離れした話は書いていらっしゃいません。

 

考え方、現状認識もヴォータンと驚くほどそっくりです。

 

「そんなにアメリカが嫌いですか?」(2009/3/3)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-5b9e.html

 

にも書きましたが、

「アメリカの貪欲資本主義の崩壊」

「アメリカ型市場原理主義の蹉跌」

などと言う考え方が、いかにおかしいかと言うことを野口先生も書いていらっしゃいます。

 

また、一部輸出産業の頑張りに、日本国全体がおんぶに抱っこ状態となってしまったことから、今回のように外需が落ち込んで、輸出産業が苦境に陥ると、日本全体が落ち込んでしまうと言う点に関しても、同意見です。

 

この2冊は、重複しているところもありますが、現在起きていることを、間違ったバイアスを掛けずに見る為には、非常に有用だと思われます。

 

おまけですが、

「自分に投資せよ」

「読書が重要である」

と言う点でも同意見です。

2009年5月 6日 (水)

「中国覆面官僚座談会;お人好し日本人フォーエバー!」を読む

ヴォータンは、毎年ゴールデン・ウィークになると憂鬱です(-_-;)

ともかく混んだところが大嫌いなので、どうしようもありません。

いつもの通り、樹海に逃げ込んでしまえば良いのですがε=ε=ε=ε=(; ̄)

その行きと帰りの高速道路の渋滞を考えると、、、(Д;≡;Д)

 

と言うことで、毎年ゴールデン・ウィークは家で過ごすのですが、まああんまりゴロゴロしていても仕方が無いので、散歩で時間をつぶすことにしました。

 

と書くと、休みの日に優雅に夫婦で散歩と思うでしょq(^^)p

残念ながら、家内は絶対ヴォータンの散歩には付き合ってくれません┌|;|┐ガーン!!

 

理由は簡単 ;)

最低でも早足で10キロは歩いてしまうんでε=ε=ε=(┌ _)┘タッタッタ

←まあ、皆さんもあまり付き合いたくないでしょ

 

ジョギングをする人は、「ランナーズ・ハイ」になって、ある程度走ると、どんどん気持ちよくなって走り続けるそうですが、この早歩きにも似たところがあって、ついどんどん歩いてしまいます。

 

さて、今回は休みの日に一番人がいないところを狙って、東大構内、大手町、丸の内、愛宕、、、、と、ほぼ文京区から真南に歩くコースにしました。

間違っても、東京ドームには近づかず、秋葉原にも近づかず、開店前の神田須田町近辺を抜けて、、、閑散とした大手町到着(*^-)vィェィ

 

さて、ここから多少人がいても、絶対に騒ぐ馬鹿者が居ない皇居前(_)

ところが、、、、、二重橋前に来ると、どうも周りの人達の様子が違います(_o)?  (o_)?

 

写真を撮っているのですが、

「はい、チーズ」

では無く

「イー・リャン・サン!」

そう、ヴォータンの周りにいた東洋人は、中国本土からの観光客がほとんどでした(まあ、朝が早かったんで、ちょっと特別だったかもしれませんが)。

 

ちなみに、これが香港からの観光客だったら、

「Smile」

か、

「イー・ヤル・サン!」(広東語ですから)

ですね。

 

その中国で思い出したのですが、先日非常に面白い本を読みました。

中国官僚覆面座談会 (Clickシリーズ) Book 中国官僚覆面座談会 (Clickシリーズ)

著者:富坂 聡
販売元:小学館
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内容は、オリンピックの裏話から、毒入りギョーザ事件、公務員の地位をカネで買うのが当たり前の世界まで、非常に多岐に渡っています。

彼我の常識の違いに驚かされますが、題から推測される過激な内容と言うよりは、この比較的レベルの高い中国人が

「自分たちは特殊だ。世界の常識から外れている」

と、ある程度自覚しているところです。

しかも、北京の中国人がオリンピックは迷惑だと考えていたり、退役軍人が実は中国社会の負け組で、政権に不満を持つ危険な一大勢力だったり、、、、

 

ひとつひとつの内容は、是非お読み頂きたいと思いますが、そう言えば日本人も

「日本は特殊だ」

と思い込む癖があることを思い出しました。

 

ちなみに、先日、街頭でインタビューされた外国人が

「好きな唄は?」

と聞かれて

「酒と泪と男と女。この感情は、ポーランド人とぴったり同じなんですよ」

と答えていましたが、読後感もあって、日本人の常識は中国人ほど、世界からはズレていないと思いましたよ。

 

さて、今日は朝から「ザ・ホワイトハウス」のDVD三昧ですo(*^^*)oエヘヘ!

2009年4月 6日 (月)

「おテレビ様と日本人」を読む

何の気なしに手にした本です。

著者の林秀彦氏と言う方に関して、何も知りませんでしたが、日本のテレビ界のある一時代を画した方の様です。

おテレビ様と日本人 Book おテレビ様と日本人

著者:林 秀彦
販売元:成甲書房
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タイトルから、日本人がいかにテレビ好きかと言う程度の、社会戯評的な内容を想像していたのですが、内容ははるかに重いものでした。

 

何度も申し上げている通り、ヴォータンはTVをほとんど見ません。

特に、TVドラマと言った製作者の作為の強く入ったものは見ませんから、せいぜいメジャー・リーグの中継程度です。

 

それだけに、著者のテレビに対する本質的な批判に、非常に共感を持てます。

 

ともかく、テレビを見ると言う行為は受身です。

しかも、作り手のレベルが低い為に、非常に低俗な内容が一方的に流され、それを受けてしまっています。

そこには知的な営みがありません。

著者は言います

++++++++++++

一度でもいいから、実験して体験してみてほしい。

テレビを見ている人をじっと横から気づかれないように観察するのだ。

その人の表情の動き、目の反応、身体の動きなどを五分でいいから細かく見るのだ。

どれほど痴呆的になっているかが、はっきりわかるはずだ。

普段は相当のインテリで、博識ある人でも、テレビを見つめている無意識の反応は、白痴そのものになる。

++++++++++++++

 

ヴォータンが言う「受身」を、より辛辣に表現しています。

さらに、「24」や「ER」と言ったエミー賞を受賞した番組に関して、

「製作志向はあらゆる面での底辺を基準としたマジョリティーである」

と、醒めた評価をしがならも、返す刀で

 

+++++++++++++++++

(この程度の番組ですら)登場人物たちは、非常に日常的な会話として、日本人にはついていけない、理解不可能な知性的な言葉遣い、単語使用をしている。

日本風に聞けば、「理屈っぽい」「難しい」「専門的な」「気取った」「かっこつけた」「仰々しい」「大げさな」「特殊な」言葉遣い、ということになる。

だから、日本語への翻訳者は、実に苦労して、それらの単語や言い回しを‘噛み砕き’、意訳せざるを得ない。

+++++++++++++++

 

と、日本の映像文化を切って捨てています。

確かに、ヴォータンはずっと

「ザ・ホワイトハウス(原題:The West Wing)」

などを見続けていますが、そこでの会話は非常に知的なものです。

 

著者は、日本の活字文化に関しては、世界でも相当に高い水準に行っていると認めながら、それが映像文化になると(とくにテレビ)、おおよそ馬鹿げたものになると批判しています。

 

「最低線」

と酷評する海外のドラマの中に

「考える喜び」

が、まだ含まれているのに対して、日本のテレビ界にはその様なものを作り出そうと言う、文化が無いと批判しています。

 

ドラマの脚本家として活躍された方なので、どうしてもドラマを中心とした批評となっていますが、ヴォータンはもう一歩進めて、ジャーナリズム精神を持たないメディアとしてのテレビにも迫って頂きたかったと思います。

 

かなり、感情的な表現も多く、読みづらい本だと思いますが、いまのメディア特にテレビに対して、違和感を感じていらっしゃる方は、一度お読みになってみても良いと思います。

2009年4月 1日 (水)

読んでびっくり「資本主義はなぜ自壊したのか」

資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言 Book 資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言

著者:中谷 巌
販売元:集英社
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「改革派経済人の懺悔の書」

と言うことで、久米宏氏などがTVやラジオで褒めていると言うので、嫌な予感はしたのですが、読まないことには何も言えないので読みました [][](・・ )フムフム

 

嫌な予感は的中┌|;|┐ガーン!!      

 

不勉強、無教養、無節操なアジテーター久米宏レベルが喜びそうな、どうしようもない内容に唖然とさせられます(Д;≡;Д)

 

「グローバル資本主義」と言う定義の怪しい用語を使って、アメリカの経済・社会運営を批判していますが、そもそも批判しているグローバル資本主義が、何であるのかと言うことに関して、きちんとした議論がありません。

それと、新自由主義と言う経済思潮を、意図的にか無意識にか混濁させ、現在の経済危機にぶちまけて批判して一件落着。

こんな、粗雑な論理で卒論を書いたのでは、まともな大学の経済学部は卒業できないでしょう(-_-;) 

 

しかも、文化論的な部分にまで触手を伸ばして、批判したり批評していますが、こちらはまったく勉強不足と言うより、教養の低さを露呈してしまっており、某大学の学長であったと言う経歴をお聞きして悲しくなりました。

せめてアメリカに住んで勉強していたと言うのなら、体験に根ざすものぐらいは、左翼小田実の

「何でも見てやろう」

何でも見てやろう (講談社文庫 お 3-5) Book 何でも見てやろう (講談社文庫 お 3-5)

著者:小田 実
販売元:講談社
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程度のものではあって欲しかったのですが、ともかく驚くほど皮相で浅薄。

この方は本当にアメリカで生活をしていたのか?

一体何を見ていたのか?

と疑問を感じるほどです。

 

そもそも、分野こそ違え、学究の徒であるならば、せめてきちんとした研究書の一つや二つには、目を通してから執筆すれば、これほど恥を書くことはないのではないかと思うのですが、、、、

 

そこからさらに脱線?して、キューバやブータン、ポランニー、キリスト教及び一神教に対する皮相な知識に基づく論考、、、

 

そもそも、アメリカ人と十把ひとからげにするいい加減さにも驚きます。せめて、

民主党のアメリカ 共和党のアメリカ (日経プレミアシリーズ) Book 民主党のアメリカ 共和党のアメリカ (日経プレミアシリーズ)

著者:冷泉 彰彦
販売元:日本経済新聞出版社
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ぐらいは読んでおいて欲しかったですね。

これ新書ですよ!=つまり、氏の論評は新書レベル以下。

 

ブータンに関しては、ヴォータンも西谷美恵子女史のコラムなどを拝見して、非常に興味を持っていますが、氏の取り上げ方には

So What?(それで、どうだってんだよ!?)

と申し上げるしかありません。

雷龍王4世がお読みになったら、何とおっしゃるでしょうね?

 

後は、昔の日本は良かったと言う回顧趣味、、、

最後は、

「今こそ日本発の価値観を世界に」

と大上段に構えるのですが、中身はどうみても古色蒼然とした日本的価値観の押し付け。

 

「なぜ中国人には日本的雇用システムが理解できないのか」

に至っては、

「日本人と中国人の歴史的背景が違う」

と言いながら、いつの間にか

「(前略)日本的経営を浸透させることはできない」

と、結んでしまいます。

異質なものは、異質なものとして、認め合うと言うのが正しい姿勢であって、

<浸透させる>

などと言う発想は恐ろしいとしか言い様がありません。

大東亜共栄圏の亡霊と言われても仕方がないと思います。

 

余談ですが、氏は

「日本人だけが『信頼』をベースにしている」

と言う趣旨のことで、論陣を張っていらっしゃいますが、それこそとんでもない皮相な知識と経験に基づくものでしかありません。

 

以前、「経済学の終焉!?大前研一氏の終焉」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_808c.html

と言う暴論を書かせて頂きましたが、あの時以上の驚きでした。

 

資本主義はなぜ自壊したのか?

いや、自壊しているのは中谷氏です。

 

市場・資本主義が不完全であることは、市場にいる者は百も承知です。

しかし、だからといって市場・資本主義を否定する議論に組するのは、もっと危険なことです。

 

チャーチルの言をもじって言えば、

「資本主義は、最悪の経済形態と言う事が出来る。これまでに試みられてきた資本主義以外のあらゆる経済形態を除けば、、、だが」

です。

 

これ以上書くと、ヴォータンの品性を疑われかねないので、ここで筆を置かせて頂きます。

ヤレヤレ(-_-)

2009年3月31日 (火)

高速道路1000円乗り放題、定額給付金と税金、83人の識者に聞く?

ふと気付くと1ヶ月近く、ご無沙汰してしまいました(-.-)

最近、我々の仲間ではメールを打っても返事が来ないと、

「あいつ辞めたんじゃないか」

と心配になってしまいます。

 

ヴォータンの場合、外資系で突然辞めるケースと、邦銀で出向などで外に出てしまうケースの両方があって、ややこしいのですが、、、

 

と、言うことで、このブログもあんまり更新しないと、

「ついに、ヴォータンも消えたか」"( ^0^)∀☆∀(^0^ )"ワーイ

と、心配して?下さる方が出てしまうので、

「生きてますよ」(*m)ノ彡バンバン!

と言う意味で、あんまり中身は無いですが、少し気付いたことをメモしておきます(辞めても続けますけど)。

 

まず、話題の高速道路1000円乗り放題ですが、樹海と東京の間を行き来しているヴォータンは、当然多大な恩恵を蒙るはずだと、、、、(^^)

 

いつもの様に、金曜日の夕方から出発

河口湖インターで降りると

<料金は950円です>

「あはは、そうだ1000円均一は明日からだ。今日は、いつもの通勤割引とか言うので、半額(1900円)だったんだ」

「ン?じゃあ、帰りは950円から1000円に値上げ?」

などと、訳の分らないことを言っていたのですが、帰りもやはり休日特別割引の950円で帰ってきたんで、今までと何も変わりませんでした ;)

 

ただ、この週末は、今までこの時期に出会うことがなかった、「群馬」「とちぎ」「金沢」「いわき」と言ったナンバーの車に出会ってびっくりしました。

夏のシーズン中なら、別に驚かないんですが、何しろ樹海は氷点下4度と冷え込んだんで、、、

ちょっと、お気の毒でしたね ^_^;

 

ただ、帰りに反対車線(ヴォータンは日曜の朝帰りです)を見ても、夏場ほどの混み方ではなかったですね。

夕方、メディアで小仏トンネル付近を先頭に渋滞○○キロとヘリ中継をしていましたが、普段でも日曜の午後から夕方(特に春休み中ですから)は、そんなものなんで、ああいう煽るような報道はどうかな?と思いました。

日頃の混み方と、1000円均一後の混み方を比較すると言う、報道機関として基本的なトレーニングが不足しているのかもしれませんが。

 

次に、最近の政策としては定額給付金は避けて通れないと思います。

世界でも教養の高さでは飛びぬけている(少なくとも平均の高さはすごいでしょう)国民に、思わず

「使おう!」

と思わせるには、

「偶然もらったあぶく銭」

と感じる様な、サプライズとなる演出が必要だったと思います。

 

しかし、あれだけすったもんだして、色々な議論をされてしまうと、ヘリコプター・マネーの威力は激減してしまいます。

教養の高い国民は、ちゃんと先を読みますから、極端な話

「これは、将来の増税に備えて預金しておきます」

と、合理的期待形成仮説を地で行く様な、素晴らしい反応をする可能性があります。

 

ところで、これはメディアであまりまともの取り上げられませんでしたが、福島県川内村が

「定額給付金で、滞納していた税金を納めるよう求める文書を送った」

ところ、総務省から撤回する様<指導>を受けたとのことです。

 

確かに、ヘリコプター・マネーは使ってもらわないと意味が無い訳ですから、総務省の指導は経済政策と言う観点からは正しいと言えます。

しかし、これは税金を強制的に徴収する(=やくざのみかじめ料と同じ)政府としては、全くおかしな指導です。

総務省の理屈としては、

「家計への緊急支援と言う趣旨に合わない」

と言っていますが、日頃の税金の徴収にあたって、家計が困っていようがなんだろうが、強権的に取り立てている政府(やくざ)としては、おかしな話です。

 

原資が定額給付金であろうが、何であろうが、税金が払えるのなら、払えというのが徴税の論理のはずです。

それとも、お金に色がついていて、税金としてとってはいけないお金と言う物があるとでもいうのでしょうか?

 

ちょっと調べたのですが、川内村では約1200世帯の内300世帯が住民税を滞納しているとのことです。

この滞納率は異常に高いと言わざるを得ません(地方の疲弊と言う問題は、別途議論すべきですが)。

このままでは、行政サービスの低下は間違いないでしょう。そこで、村が定額給付金に目をつけたのは、正しい姿勢だと思います。

 

払う方も、もともと税金の督促を受けていたところへ、あぶく銭が来たんだから、そのまま税金に消えても構わないと言う気分ではないでしょうか(払わないと、いつかは強制執行されますから)。

それを、総務省が一体どういう権限で指導をして、徴税に手加減を加えさせたのか、その法的根拠に非常に疑問を感じます。

 

もし、これがまったく<法的根拠に基づかない指導>であり強制力は無いとしながらも、それに地方が従わないと、後で不利益を蒙ると思って従ったと言うのなら、とんでもない話です。

官僚の裁量行政の最たるものだと思います。

 

手心を加えてもらうとついうれしい様な気になりますが、相手に裁量権を与えることは、非常に危険だということを再認識すべきだと思います。

 

さて、何やら迷走している政策ですが、何を思ったか83人の識者から直接総理が意見を聞くという<イベント>が開催されました。

 

語るに落ちたとはこのことでしょう。

昔の総理は、碩学のところに自ら足を運んで、国を治めると言う大局的な判断に関する示唆を求めたと言います。

 

ところが、何の脈絡も無く1人3分ずつの意見を83人も聞いたら、、、

聖徳太子でも10人ですよ!

 

面談の内容を聞く機会があったのですが、やはり危惧したとおり、出席者の言いっ放し、総理の聞きっ放しだったそうです。

そもそも、どう言う基準で「識者」を集めたのか、かなり怪しいところがあって、極端な持論(非現実的)を滔々と述べる方もいらっしゃったそうで、、、

 

要するに大勢から短時間に話を聞くと言うことは、誰の話も聞かないと言うことだと思います。

それにしても、日本の中枢がここまで低レベルになるとは、、

2009年3月 3日 (火)

そんなにアメリカが嫌いですか?

確かに傲慢なんですよね。

20年以上米系の金融機関に勤めているんで、それはよく分ります。

 

だけど、世界中で本当の意味で日本の友人になってくれる国は、アメリカだけだと思いますよ。

 

世界中の色々な人と会いますが、平均的に日本人をきちんと差別無く受け入れてくれる(と言うより外国人を受け入れてくれる)のは、アメリカ人だと思います。

 

外資系に勤めている人間同士集まって話すことが、何度もあったのですが、少なくとも日本人を

「現地社員」

と言う、本国とは違ったカテゴリーに入れて別扱いしていないのは、米系だけでした。

そう言えば、日本の会社でも、一般的には

「海外の社員は、日本の社員とは別扱い」

ですよね?

 

日本での事業を縮小したり、撤退したりした場合に、とんでもない条件で日本人社員を切っただけでなく、本国から来ていた社員は、さっさと逃げ帰って、残った日本人があての無い残務整理に追われたと言う姿も見てきました。

ただ、少なくとも米系では、本国の社員の解雇と同じ条件が提示されていました。

 

それでも、嫌われるんですよね。

 

まあ、好き嫌いにとやかく言っても仕方が無いのですが、最近の

「アメリカの貪欲資本主義の崩壊」

「アメリカ型市場原理主義の蹉跌」

「世界をダメにしたアメリカ」

云々と言う、アメリカ・バッシング本や雑誌記事には辟易します。

 

確かに、サブ・プライム・ローン問題から金融危機が深刻化し、ビッグ3が政府の救済を求めるなどと言う姿を見ていると、

「ざまあみろ」

と言いたくなるのは分ります。

 

ただ、孫子は

「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」

と言いました。

 

ところが、太平洋戦争の時に

「敵性言語だから」

と英語を禁止した(もし、戦争に勝って占領した後はどうするつもりだったんでしょうね?)体質、

「鬼畜米英」

の一言でレッテルを貼って粋がっていた体質と、全然変わっていないのではないかと暗然としてしまいます。

 

昨年の9月に

「米金融危機:本当に心配なのは日本」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-405b.html

と書いたのですが、今読み返してみると、前半のリーマンに関する部分は、

「心理に与える影響を過小評価していたな」

と、やや反省しているのですが、後半の

「日本の方が心配」

の部分はもっと甘かったと、大反省しています。もっと大声を出すべきでした。

 

ご存知の通り2008年第4四半期GDP成長率は、

日本   -12.7%

米       -6.2%

ユーロ圏  -5.9%

です。

 

ヴォータンは、ユーロ圏はもともとバラバラの政策しか打てない上に、東欧を抱えてしまった(実は、南米も)ので、もっと悪くなると思っていますが、それにしても現時点では日本の方が2倍もひどい状態です。

 

世界中の日本嫌いの人達がこれを見て、

「日本主義の崩壊」

「日本型原理主義の蹉跌」

「世界をダメにした日本」

と言う本や雑誌を出すのでしょうか?

 

そんなレッテル貼りに、何の意味も無いことがお分かり頂けると思います。

 

アメリカの投資銀行の中で、ヴォータンがこのブログで

「最近、品の無い輩が社内に増えた」

と言っていた連中がやっていたことが破綻したことは、間違いありません。

 

しかし、それ以上に日本型の経済運営そのものが、大きく破綻したことも、きちんと認めるべきだと思います。

 

最近、

「小泉政権の負の遺産」

と言うレッテルを貼って、無くした既得権を取り返そうとする勢力がありますが、とんでもない間違いです。

「規制を緩和しすぎて、、、」

と言う人は、規制で既得権益を守りたい人達ですから、これか新しいことにチャレンジしようとしている人の障害になるだけです。

 

規制を緩和して、若い人達がチャレンジ出来る場を広げる

失敗した場合の、セーフティ・ネットを整備する

 

と言う形で、優秀と言われる日本人が、前向きに走り出すベースを作るべきだと思います。

 

ヴォータンは日本の製造業に対する敬意に関しては、絶対に人後に落ちるとは思っていません。

何しろこのブログの一番最初(2006年5月)は、

日本の「製造業」に外資の触手――「選択」5月号の辛辣なコメント

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_b9b3.html

から始まっているくらいですから。

(それにしても、今読むとひどい文章ですが)

 

ただ、強い製造業に日本国中がおんぶに抱っことなってしまったことが、輸出に過度に依存する経済をつくってしまったことも確かです。

内需拡大と言うお題目は、みんな唱えるのですが、これだけ陰に陽に、あれやこれや規制をしていては、内需が盛り上がる訳がありません。

 

繰り返しになりますが、

アメリカを叩いても日本の状況は良くなりません。

もちろん、日本はアメリカの真似などしていてはいけません(世界中から良いところを盗むのは良いですが)。

若い人が失敗を恐れることなくチャレンジ出来るセーフティ・ネットを作るべきです。

 

そうしないと、このそこそこに豊かになってしまった国では、誰もチャレンジしなくなります。

 

やがて、間違いなくゆでガエルになると思います。

ただ、ずい分以前にこのブログに書いたのですが、、、

この国は、一度失敗すると再起が難しいですし、異端を認めてくれないんですよね。

「誰に貸すの?やり直しの難しい社会」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_656d.html

「個人保証を禁止せよ!」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_01fa.html

2009年2月24日 (火)

負の成果主義の悲惨な結末(補論)

日本の企業が、外資を真似て「成果主義」を導入することに反対し続けて10年。

 

結果は先日来のブログでご紹介した通りです。

「負の成果主義の悲惨な結末(再論)」(2008年5月6日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_dc34.html

「成果主義の10年(負の成果主義の悲惨な結末)」(2006年12月10日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/10_aafa.html

 

もう、言いたいことは全部言い尽くした様な気がしますし、そもそも悲惨な結果が出ているので、いまさらとは思うのですが、、、、

 

何か、言い忘れていたような気がして気になっていました。

 

やっと、思い出したので、メモのつもりで書き残しておきたいと思います。

 

「負の成果主義の悲惨な結末(再論)」

の中の会話で、

「我々外資は実は結構<アナログ>でやっている」

と書いていたのですが、もう少し付け加えると、

「個人ベースでの成果主義」

は、とっていないと言うことを書き加えておきたいと思います。

 

極端な話、1人で出来る仕事だったら、そもそも会社組織なんていらないんですよね。

「組織で働いて成果がなんぼ」

と言う話ですから、個人に一律に特定の成果を求めたりはしません。

 

「君にはこれこれをやって欲しい」

と言う話はしますが、ヴォータンが自分のグループの成果を最高のものにする為に、個別に指示しているだけであって、

「○○君、XX契約YY件!達成おめでとう!!」

と言う世界ではありません。

 

もちろん、

「何故『外資系』を選ぶのですか?(Part II)」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/part_f9fd.html

に書いたとおり、やたらと自己主張が強くて、個人が突っ張って前に飛び出してきますが、それと個人ベースの成果主義とは別の問題です。

 

日本の会社でも、昔から「部の目標」「課の目標」「営業店目標」などなどがあったと思いますが、実は外資も同じです。

ただ、現場の長にボーナスの支給や、採用・解雇と言った人事権があった為に、評価面でより木目の細かい運用が出来たと言うだけです。

つまり、外資と似たものにしたければ、現場に権限を下ろすことが大事だったのに、全然違うことに力を入れて、

「評価のやり方」

にベクトルが向いてしまったことが、失敗の原因だと思います。

 

歴史的に見ると、日本は外国から入ってきたものを換骨奪胎して、うまく日本的なものに作り変えて利用してきたと思います。

 

ただ、この成果主義だけは、換骨奪胎に失敗してしまい、本家でもやっていない様な、

「厳密な個人ベースでの成果主義」

などと言うお化けを生んでしまったのではないかと思います。

 

2009年2月19日 (木)

与謝野馨大臣のとんでも発言

中川昭一財務・金融大臣の辞任で、与謝野馨経済財政担当大臣が3役兼務と言う事になりました。

この未曾有の景気後退期に、主力となるべき業務をすべて1人に集中することは、意思決定が迅速になると言うプラス面もあると思います。

もっとも、巷で不安視されている通り、3役兼務して果たして業務が切り回せるのか、、、と言う見方の方が妥当だと思いますが、、、

 

さて、そう言う話とは別ですが、先日の与謝野大臣(長くなるので、「大臣」だけにします)の

「社会民主主義発言」

には、気になるところがあります。

 

毎日新聞(オンライン版)によれば

+++++++++++++

与謝野馨氏:自民、実は社会民主主義…新自由主義に疑念

 

 与謝野馨経済財政担当相は10日の参院財政金融委員会で

 

「この10年間の自民党の政策は外国から輸入したものを無理やりに移植してきたのではないか」

 

と述べ、新自由主義的な経済政策に疑念を呈した。峰崎直樹氏(民主)の質問に答えた。

 与謝野氏は

 

「この10年間の経済界の動きは決して我々が目指している社会ではない」

 

と指摘。

 

 「『強者が栄え、弱者が滅びる』という感じは自民党内にはあまりない。自民党は実は社会民主主義の政党だと思っている」

 

と述べた。【田中成之】

+++++++++++++

となっています。

「自由民主党の新理念」では

「(自由民主党は)真の自由主義・民主義政党である」

とあり、「新綱領」では

+++++++++++++

○小さな政府を
 私たちは、国、地方を通じて行財政改革を政治の責任で徹底的に進め、簡省を旨とし、行政の肥大化を防ぎ、効率的な、透明性の高い、信頼される行政をめざします。また、国、地方の適切な責任分担のもとで、地方の特色を活かす地方分権を推進します。

++++++++++++++

とうたっています。

どう考えても「社会民主主義政党」であるはずがありません。

その自由民主党の看板を背負って選挙に出て、しかも3つの大臣を兼務する要職につく方が、政治思想に関してこの様な安易な発言をされるのは如何なものなのでしょうか。

 

記者は、「新自由主義に否定的」と補足していますが、ほぼ当たっているのでしょう。

 

与謝野大臣が、以前から、新自由主義=市場をベースにした経済運営に否定的であることは分っていました。

小泉前首相や竹中現慶應義塾大学教授のとった改革路線が、市場経済をベースにしていたことから批判的であったことも事実です。

では、どの様な経済運営を考えていらっしゃるのでしょうか?

 

経済学をちょっとかじったことがあれば、「市場の失敗」が発生することぐらい誰でも知っています。

与謝野大臣の発言からは、市場の失敗が嫌いなので、政府の介入と規制で救おうと言う意図が感じられます。

しかし、同じく経済学をちょっとかじったことがあれば、「政府の失敗」の方が、その数十倍も悪いことも知っています。

 

しかも、日本には社会民主主義的な土壌があるかと言われると、それも怪しいのです。

 

大阪大学の大竹文雄教授が、1年ほど前の週刊東洋経済に寄稿していらっしゃった(面白かったのでとっておいた)のですが、

+++++++++++++ちょっと要約します++++++

市場競争とセーフティネットという、経済学者が考える標準的な組み合わせは、日本人の常識ではないようだ。

「貧富の格差が生じるとしても、自由な市場経済で多くの人はより良くなる」

という考え方にあなたは賛成するだろうか。

PEW研究センターと言う米国の調査機関が2007年に各国で意識調査をしている。

 日本では49%しか、この質問に賛成していない。

米国 70%

カナダ 71%

スウェーデン 71%

イギリス 72%

韓国 72%

イタリア 73%

中国 75%

スペイン 67%

ドイツ 65%

フランス 56%

ロシア 53%

主要国の中では日本人の市場経済に対する信頼感の低さは際立っている。

では、日本人は政府に頼っているのだろうか。

同じ調査で、

「自立できない非常に貧しい人たちの面倒を見るのは国の責任である」

という考え方に賛成するか否かを尋ねている。

 日本ではこの考え方に賛成しているのは59%である。この数字も国政的には際立って低い。

ほとんどの国で80%以上の人が、貧しい人の面倒を見るのは国の責任だ、と考えている。

カナダ 81%

フランス 83%

イタリア、スウェーデン、ロシア 86%

韓国 87%

中国 90%

イギリス 91%

ドイツ 92%

スペイン 92%

国の役割に否定的だと考えられる米国でも、70%の人が貧しい人たちの面倒を見るのは国の責務だと考えている。

多くの国では、市場経済と国の両方を信頼している。つまり、市場経済によって国全体の豊かさを増し、市場競争から貧困者が生まれれば、その面倒を見るのは国の責任だという考え方だ。

しかし、日本では格差拡大への対策として、セーフティネットではなく規制強化が議論される、少し変わった国である。

++++++++++++++++++++

少しではなくて、ずい分と変わった国だと思います。

 

与謝野大臣は、社会民主主義思想に基づいて、何をどうしたいと言うのでしょうか?

少なくとも、自由民主党の理念には反していると思われます。

 

それとも理念などと言うものは、どうでも良いのでしょうか?

 

ヴォータンは、与謝野大臣の発言の裏に、鼻持ちなら無い官僚支配と既得権益層擁護の臭いを感じます。

 

競争が制限されることで利益を得るのは、既得権益層です。

例えば、今苦労している非正規雇用状態にある人達ではありません。

 

市場経済をベースに経済運営をされると、既得権益層は新規参入者から脅かされる訳ですから、競争制限大賛成です。

 

ただ、悲しいことに市場経済に対して反発するもう一つの階層は、市場競争で敗れて、ある意味困窮してしまった人達です。

 

与謝野大臣の発言が気になるのは、この困窮した人達を助けると言う大義名分で、既得権益層の利権を守ろうとしているところです。

 

弱者救済の為に、競争を制限すると、階層が固定してしまうだけでなく、全体の豊かさが損なわれる為に、弱者はいつまで経っても弱者且つ誰も今より豊かになれないと言う悲しい世界となるのですが、、、

 

大竹教授が1年前におっしゃっていたとおり、日本は規制強化=競争制限の方向に向かっていますから、みんなで仲良く貧しくなりますね。

 

 

2009年2月18日 (水)

中川財務相辞任:「酒の上で、、」に見る彼我の違い

中川財務相が辞任しました。

酒の飲み過ぎで、酩酊状態で国際的な記者会見に臨んだ結果です。

 

実は、ヴォータンは、あの「もうろう会見」を見ていて、小渕元首相が亡くなる直前の、おそらく自宅前だったと思うのですが、記者に囲まれての応対が同じ様に「変」だったことを思い出し、

「もしかしたら、小渕元首相と同じ脳梗塞の初期症状では?」

と、心配したのですが、、、、、ただの酒の飲み過ぎだったとのことです(-_-;)ナンダ

 

(_o)?  (o_)?

ヴォータンも、思わず

「<ただの>酒の飲み過ぎ」

と書いてしまいましたが、実は

「酒の上でのこと」

に関する感覚は、日本(もしかしたらアジア?)と西欧(少なくとも米英)では著しい差があることをお伝えしておきたいと思います。

 

もうろう会見に関して、あるTV番組が

「中川財務相は辞任すべきか?」

と言う街頭インタビューを行なった結果を、昨日の朝報道していました。

 

画面に出た人の内3人が

「辞めるべき」

と答え、1人だけが

「まあ、酒の飲み過ぎかもしれないけど、記者会見で醜態をさらした程度で辞めなくても」

と答えていました。

 

ところが、その後のグラフでは、辞めるべきと答えた人は40%で、60%の人は辞めなくてもよいと答えたとなっていました。

 

ちょっと、脱線しますけど、この番組編集は、明らかに世論誘導の意図がありますね。

TV画面では、3人が辞めろと言っていて、辞めなくてもいいと言った人が1人しか出てこない訳ですから、

「世間では、辞めろと言う意見が強いんだ」

と言う印象を持った人が多いはずです。

---こう言う例は結構ありますから気をつけましょうね。なにしろ、一億火の玉、鬼畜米英と言って好戦ムードを煽ったのは、軍部ではなくメディアですから、、、

 

さて、この60%が辞めなくてよいと言ったところに、日本人の

「酒の上でのことだから、、」

と言う、酒に寛容な文化が表れていると思います。

 

ところが、これが英米に行くと、とんでもない話になります。

 

ヴォータンは、幸運なことに酒が強く(しかも、大好き(σ^0^)σですが)、赤くもなりません。

 

ただ、日本人の多くの方は、あまり酒が強くありませんし、強い弱いに関係なく、お酒を飲むと赤くなる方が多くいらっしゃいます。

 

ところが、ヴォータンの知る限りの英米人は、少々のお酒(ワイン1、2本)程度では平然としていますし、赤くもなりません。

ですから、先日の

「テレビじゃ言えない健康話のウソ」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-0491.html

で触れたとおり、彼らは結構昼から飲みます。

 

強いですし、赤くもなりませんから、そのままオフィスに戻って平然と仕事をします。

--時々臭いですが、、、;)

 

それだけに、彼等の感覚では、中川財務相の様に、酒を飲んでろれつが回らないと言う状態にまで至っている姿は、

「こいつ、ものすごく飲んだな!(おそらくワイン5、6本以上)」

と言うことに、当然なってしまいます。

 

酒の為に、業務や日常生活に差し支えるようなことがあると、

「あいつは、自己管理が出来ない=社会人として失格」

と言う評価となり、世間からつまはじきされてしまいます。

 

逆に、中川財務相が

「飲んだか、飲まないか、『ごっくん』したか」

は、日本の皆さん以外は、誰も問題視していないはずです。飲んでも一向に構いません。

むしろ、あの会議の出席者で、午後になっても酒が入っていなかった人は、ほとんどいなかったと思います(日本の出席者は、飲んでいない方でしょう)。

 

ただ、

酩酊状態になっていた=当事者能力を失っていた

と言うことで、アウトが宣告されている訳です。

 

実は、ヴォータンは、こんな経験をしたことがあります。

NYから大ボスが来日した時に、シニア・メンバーだけの着席の会食とは別に、彼の管理下にある部署の全員が参加しての懇親会を行ないました。

 

気楽な立食で、若い人とも直接話がしたいと言う大ボスの意図だったのですが、、、

 

懇親会の途中で、大ボスがヴォータンのところに、そっと寄って来て

「あの、○○君は大丈夫か?」

「え?」

と思って、○○君を見ると、確かに顔が真っ赤ですし、立ち居振る舞いも、いわゆる

「普通の日本の酔っ払い」

です、、、、、が、そうひどいものではありません。

 

ただ、その場で

「日本人は酒に強くない。赤くなってもけっして大量に飲んだことを意味する訳ではない」

と言い訳しても仕方が無いと思ったので、○○君を呼んで事情を話して、そっと先に帰らせました。

 

もちろん、大量に飲んでいた訳でもなんでもありませんから、彼は翌日元気に出社して、何の問題もありません。

 

後で、大ボスには

「有り難う。彼は確かに昨日体調が悪かったんだ。ただ、あなたとの大事な懇親会だと言うので無理をして出席していたので、あんな状態になっていた。早く帰って休ませたので、今日は元気に出社している」

と言って取り繕いました。

 

この大ボスは、その後何回も日本に来る内に、

「日本人はお酒に弱い。赤くなっても自分達の感覚で言う大量飲酒(ウィスキー1本?)を意味する訳ではない」

と理解してくれましたが、、、、

英米人の一般的な理解が、彼の最初の反応のままであることは言うまでもありません。

 

お酒に弱い方、飲むと赤くなる方は、知らない英米人と同席した場合には、最初から飲まない方が賢明です。

 

禁酒法を作ったくらいの連中ですし、なまじ強いんで、「アルコール依存症」で苦労している人の数は、日本よりずっと多いですから、彼等の中にもアルコールを絶対口にしない人はいくらでもいます。

 

ましてや、無理に付き合うなどと言う文化はありませんから、無理に飲む必要はまったくありませんよ(-;)(-_-;)オレノサケガノメナイノカ

2009年2月17日 (火)

「アメリカ人の政治」を読む

ヴォータンは、20年以上アメリカの金融機関に勤めています。

しかも、海外に行くことが珍しかった30年前に、約1ヵ月半を掛けて、北米大陸を太平洋岸から大西洋岸、北はカナディアン・ロッキーの氷河から南はアリゾナの砂漠まで、一人でバスに乗って這い回ったと言う経歴を持っています。

--カネが無くて飛行機に乗れなかっただけですが、、、;)

 

それだけに、「アメリカ」は特別な存在ですし、自分なりのアメリカ観を持っているつもりです。

 

ただ、仕事柄,、「経済面」に関する理解は十分に深いと思いますが、「政治面」に関する理解は、ある程度の知識があると言ったレベルに留まっています。

 

と、言うのも、仕事上で知り合ったアメリカ人や、その30年前にバックパッカーとして歩いていた時に知り合った人達とは、いくら親しくなっても「政治と宗教の話」は避けてきたからです。

 

これは、日本人の友人達との間でも同じで、「政治と宗教の話」は、絶対にしないことにしています(親友は、キリスト教学者ですが、、、)。

 

そうすると、まあ日本は何とかなるんですが、どうしても「アメリカの政治」に関しては、断片的な知識の集積に留まっていました。

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新書レベルですから、アメリカの政治を学問として専攻していらっしゃる人には、物足りないかもしれませんが、全般を理解する入門書としてはすぐれていると思います。

 

特に、第一章の

「アメリカ人の正義は、相対的である」

と言う指摘は、日頃

「日本人は多神教国家で、絶対的な真理を信じないから、すべてが相対的。それに較べて一神教の人々は、、、、」

と言う紋切り型の宗教観・社会観・倫理観、、、を聞かされていた皆さんには非常に新鮮だと思いますよ。

 

私も著者の意見とまったく同じで、日本人の方がずっと

「絶対的正義が存在する」

と言う幻想を抱いていると思います。

2009年2月16日 (月)

解雇規制は、実は弱者いじめ

このところメディアでは、「解雇」「首切り」「派遣切り(これはちょっと定義が怪しいですが)」と言った、雇用不安を募らせる言葉が飛び交っています。

 

そうなると、メディアのコメンテーターの皆さんは、

「簡単に解雇させるな」

と、言う趣旨の発言をして悦に入っていらっしゃいます。

 

確かに、目先のことだけを考えれば、

「解雇させなければ失業する人も出ない」

と言うことになりますから、いかにも正しいことを言っているつもりなのでしょう。

 

残念ながら、こう言う方々は危険なアジテーターでしかありません。

以前にも書きましたが、特にTVでのコメントは、時間が限られている上に、ディレクターやプロデューサーの持って行きたい方向で発言する人が重宝がられて出演していますから、間違っても肩書にだまされて「有識者」などと、思うべきではありません。

 

また、たとえまっとうな方でも、時間制限の中ではなかなかきちんとした話は出来ないものです。

やはり、面倒でもまっとうな活字メディアに頼るべきだと思います。

 

脱線してしまいました、、、、

さて、これはちょっとでも経済学をかじった人間からすると、まったく変な話だと言うことに気付くはずです。

 

今よりさらに解雇がしにくくなったとなれば、雇っている側の会社はどうするでしょう?

 

景気は良い時ばかりではありませんから、経営する側としては、景気が悪くなった場合に人員を調整することが難しいと言うことが心配になります。

 

そうなると、ヴォータンが経営者ならば、景気が良い時でも、

「次に業績が悪化した時に解雇しにくいから、本当は10人必要なんだけど、7人にしよう」

と言うことで、正社員の30%残業を増やして対処します。

つまり、本来雇われたはずである3人が、失業状態に留まることになります。

 

次に、どうしても雇う必要があるならば、解雇しやすい契約社員や派遣、バイトなどなどのいわゆる

「正社員ではない人(非正規雇用)」

を増やして対処することを考えます。

 

それは、けしからん!となって、非正規雇用者も簡単に解雇出来ないとなったならば、、、、、(今、進もうとしている方向です)

 

ここが経済学の冷たいところなんですが、労働費用が上がったと考えて、設備投資を行なって、人を使わない様にします。

 

つまり、どの段階の解雇を規制しても、実は雇用そのものが失われてしまうと言う結果になるのです。

 

しかも、景気が良いときは「残業」で乗り切ろうとしますから、雇われている人には過重な労働が掛かることになります。

最近、正社員の過重労働と言う問題がささやかれていますよね。

  

不景気になると、当然雇用は増えませんから、失業者が溢れることになりますが、この失業者の人数は、雇用規制があった場合の方が多いことはあっても、少ないと言うことはありえません。

  

何やら、暗い話になってしまいましたが、これが経済学から導かれる結論です。

 

ちなみに、現在起きている「派遣」の問題は、非正規雇用の道を広げながら、解雇を規制しなかったからだ、と言う議論をする方がいらっしゃいますが、これが間違いであることは、ここまでの議論でお分かりだと思います。

非正規雇用社員の解雇規制は、単に雇用を減少させ、最初から就職できない失業者を増やすだけでしかありません。

 

厳しい話になりますが、労働者の教育を行なって、質の高い、付加価値のある労働を提供できる国民によって、全体のパイを大きくしていくしか解決策は無いと思っています。

 

ただ、これを社会問題として捉えるならば、正社員と言う既得権益層と、非正規社員と言うアウトサイダーの対立、国民の二極分化と言うことが懸念されます。

 

ヴォータンは、日本の場合比較的高齢の正社員の権益があまりに守られすぎて、若年層にしわ寄せがいっているのでは無いかと気になって仕方がありません。

 

今の、若年層が日本を支える年代になった時に、実はスキルの無い非正規雇用の社員ばかりだったと言うのは、恐ろしい図です。

 

公的年金は「ねずみ講」?

ヴォータン家の娘は、幸運なことに内定取り消しにもならず、まもなく就職して自分で稼ぐようになります。

そうなると社会保険料も自分で払うようになります。

 

実は、今頃になって気付いたんですが、そもそも、社会保険料は税金ではなくて、自分が将来受け取る年金の原資を払い込んでいる訳ですから、娘の資産になる訳で、、、、

と言うことは、娘の老後の小遣いをヴォータンは払ってやっていたことになります。

 

そう考えると、これはバイト代で払わせるべきでしたねò)

気付くのが遅かった ;)

 

と、ここまで考えてきて、ふと気になったのが、「年金保険料の未納問題」です。

 

社会保険庁が「未納率を下げる」為に、不正を働いていたとか、年金記録が消えたと言うことが一時期メディアで大騒ぎになり、最近はやや下火になってしまいましたが、実は現在も問題は解決している訳ではありません。

 

そもそも、何で「未納」が問題なんでしょう?

 

自分で払った年金原資を国が安全に運用し、歳をとったらその原資+運用益を受け取る。

ただし、早く死んでしまうと受け取り分は少なくなる。

逆に言えば、思ったより長生きしても、先に無くなった方の分を回してもらえれると思えば、不安が小さくなる(トンチン年金と言うらしいですが)。

 

と言う形であれば、それほど文句も出ない社会的な扶助のシステムだと思います。

 

未納の人は、

「原資を払っていないから、もらえない」

で、一件落着のはずです。

 

ところが、「未納」が問題になるのは、今の年金制度がここで述べた「積み立て式」ではなくて「賦課方式」となっているからです。

 

今の公的年金では、「受け取る年金額」が固定されています。

この水準は、現在受け取っている人達が払い込んだ金額を越える場合が多い様です(ちょっと、この辺は専門家ではないので怪しいですが)。

 

そうなると、

「将来の自分の年金の原資」

のつもりで払い込んでいるはずのお金が、一部は流用されてしまい、実際には積み立てられていない訳ですから、

「受け取る時には、足りない」

と言う現象が起きることになります。

 

しかも、この状態で未納が増えると、今の年金の支給額を確保出来なくなりますから、強制的に天引きしている厚生年金や、今ちゃんと国民年金の保険料を払っている人に、手っ取り早く沢山払ってもらって穴埋めするしかなくなります。

 

これって、どう考えてもおかしいですよね?

まさに正直者が馬鹿を見ると言う話の典型です。

 

ある計算によれば、1970年辺りに分水嶺があって、それより前に生まれた人は国民年金に入っていると「得」をして、それ以降の人は「損」をするそうです。

 

それが分っているのに、国民年金に入ると言う人は、、、よほどのお人よしと言うことになってしまいます。

 

未納者に対する罰則を強化すると言う話がありますが、これは本末転倒の議論だと思います。

 

今の制度は、現役世代から強制的に収奪して、引退した世代に所得を移転しています。

つまり、税金による所得の再分配機能を年金に持たせている訳です。

そうなると、脱税が起きるのと同じで「未納」が起きるのは当然でしょう。

 

何しろ、世代と言う大きなくくりで縛られて、強制的に所得を移転させられている訳ですから、

「年金はあなたの老後の資金です。ちゃんと収めましょう」

と言う言い方は、詐欺としか言い様がありません。

 

詐欺と言うと言い過ぎかもしれませんが、正しくは、

「あなたの先輩の世代を養う為に、『年金』の様なものを払ってください。ただし、あなたがその世代になった場合には、あんまりもらえません」

と言うことをきちんと伝えるべきではないでしょうか?

 

今、年金問題を扱うメディアなどで

「現在は、現役世代4人で引退世代1人を支える形ですが、20年後には現役世代1人で引退世代1人を支えることになります」

などと説明して、年金の原資が必要だと言う説明をしていますが、これは大事な点をぼかしています。

 

何で、「支えないといけない」のでしょうか?

そのことに関して、ちゃんと民主主義的なステップを踏んでいるのでしょうか?

もしかしたら、今「負担」している人達が選挙権を持つ前に(または、生まれる前に)、勝手に決めてしまった制度ではないでしょうか?

 

ここは正直に、

「年金は賦課方式ですから、現役世代が上の世代にお金を送ることになっている。ただ、あなたが払っている年金は、残念ですが老後にはもらえません」

と、明確に言うべきです。

  

これを解決するには、70年以前(先程の話が正しければ)に生まれた人の年金保険料を上げるか、受給額を減らすしかないはずです。

 

払ってもいないお金を老後に受け取れるなどと言ううまい話がある訳がありません。 

 

ン?と、ここまで書いて今思いつきました。

 

これは、ねずみ講なんだと、、、、、

 

そう思いませんか?

 

--あんまり、得意な分野じゃないので、なにやら書き散らしてしまって恐縮です(_)

2009年2月 3日 (火)

雇用崩壊―安易な移民政策のツケ

「だから言わんこっちゃ無い」

と言ってしまうと身も蓋も無いんですが、、、

ヴォータンは、このブログで安易な「労働力の輸入」に反対してきました。

 

「3K移民を禁止せよ」(2008年10月15日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/3k-538b.html

「移民、不法就労、人道的な立場とは?」(2007年5月6日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_a580.html

 

今週号の週刊東洋経済の特集は「雇用崩壊」です。

 

その中で「構造矛盾」と称して、外国人労働者が放り出されている様がレポートされています。

 

そこに描かれているのは、安価な労働力として利用し、利益を享受してきた企業から突然放り出された外国人を、地域社会がコストを払って助けようとしている姿です。

 

ヴォータンは、以前のブログで

 

「労働者を輸入することで、企業は『便益』を受けますが、その生身の人間が居住することによる『コスト』は社会が払うことになります。

初歩の経済学の教科書にある通り、これは『外部不経済』です」

 (中略)

「それでも労働力を輸入すると言うのであるならば、その企業に対して

『労働者の家族が日本で普通に生活できる水準の給与を支払い』

『言葉の不自由な家族、子供たちを受け入れて四苦八苦している、地元の社会・学校に通訳を置く費用を負担すること』

を義務付けるべきです。

こうして、『外部不経済』の部分を企業の内部に取り込ませて、コストを明確にし、社会全体として改めて考えたら

『安価な労働力ではない』

と言う事に気付くはずです。」

 

と指摘していたのですが、残念ながらコストを企業に負担させる前に、一番恐れていた首切りが起きてしまい、責任を取らせることが出来なくなってしまいました。

 

しかも、家族の面倒をみる負担どころか、労働力であったはずの本人の面倒をみると言う負担が、一気に「社会」にのしかかってきてしまいました。

 

次に起きることは明らかです。これも以前予測したとおり

 

「急いで対処しないと、日本にスラムとゲットーが出現し、移民二世の青年と極右青年との衝突に機動隊が出動する日はそう遠くないと思います。」

 

と言うことになります。

 

東洋経済の本文中に、すでにその兆候が表れています。

+++++++

実際、取材したブラジル人の中には

「チャイニーズがわれわれの仕事を奪う」

と、憎悪に満ちた目で訴える者もいた。

+++++++

 

人種、民族が違うと言うことからくる、弱者同士の憎悪の連鎖ほど恐いものはありません。

 

残念ながら、日本も間違った形で移民を取り込むと言うミスを犯してしまいました。

これから我々は、色々な形でこのツケを払わされると覚悟するしかありません。

 

不幸中の幸いなのは、諸外国に比べてまだ人数が少なかったと言うことでしょう。

2009年2月 1日 (日)

「最底辺の10億人」を読む

ヴォータンは、自慢?じゃないんですが、海外にはかなり出かけているのに、「大陸」にはほとんど足を踏み入れたことがありません。

金融関係、特にマーケット・リスクの世界にいると、出かけるのは何故か「島」ばかりです。

 

NY-マンハッタン島

ロンドン-グレート・ブリテン島

香港-香港島

シンガポール-シンガポール島

シドニー-オーストラリア、、、ン?これは大陸か?

 

ついでですが、新婚旅行はニュー・カレドニア島です ;)

  

厳密に言えば、今は無くなった香港の啓徳空港は九龍サイドですから中国大陸ですし、ロンドンへルフト・ハンザで行った時は、トランジットでフランクフルトに降りましたし、学生時代には北米大陸を40日間ほどさ迷っていたこともありますが、基本的に海外に出かけている割には「大陸」に縁が無い状態が続いています。

すくなくとも、今の職業についてから、ともかく海に面した文明の発達した場所にしか行く機会がありません。

どうしてなんでしょう?

 

最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か? Book 最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?

著者:ポール・コリアー
販売元:日経BP社
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この「最底辺の10億人」と言う本の第4章「内陸国の罠」を読んでいて、ヴォータンが行く場所は

「先進国の中でも、さらに金融市場が発達した場所」

つまり、もっとも発展した場所であり、その裏返しがこの内陸国の罠に当てはまると言うことが、実感できました。

 

海外と自由に交易出来ることが、どれほど経済の発展に大事なのかがよく分かる話です。

 

最近、景気減速から「保護主義」的な動きが、出ていますが、「保護主義」は政治家と既得権益層を利するだけで、国家としては大損失を被ることを、はっきりと自覚するべきだと思います。

 

きちんとした書評が多く出ていますので、簡単にご紹介しますが、

 

第一部 なにが本当の問題なのか?

 第一章 脱落し崩壊する最底辺の10億人の国

 

第二部 これらの国を捕らえる数々の罠

 第二章 紛争の罠

 第三章 天然資源の罠

 第四章 内陸国の罠

 第五章 小国における悪いガバナンスの罠

 

第三部 グローバル化がもたらしたもの

 第六章 世界経済の中で好機を逸する最貧国

 

第四部 われわれのとるべき手段

 第七章 救済のための援助となっているのか?

 第八章 軍事介入

 第九章 法と憲章

 第十章 周縁化を逆換させる貿易政策

 

第五部 最底辺の10億人の国にとっての戦い

 第十一章 われわれの行動の指針

 

と、非常に興味深い内容が、実例を挙げて紹介されています。

 

現行の援助はきわめて非効率となっており、「ベンチャーキャピタル型」が必要であると言う指摘、軍事介入が必要な場合があるなど、、、、、

 

そこで、書評を書いていらっしゃる皆さんが、触れていない部分をひとつ

 

「フランスではきわめて最近まで、企業が底辺の10億人の国で公務員を買収した場合、その支払いは課税控除の対象になっていた。

つまり、フランスの納税者は買収に協力していたのである。

もちろんフランス国内なら事情は違ってくる。フランスの企業がフランスの政治家を買収した場合には、課税控除ではなく犯罪捜査の対象となるだろう」

 

まあ、こういうしたたかさではフランスはピカ一ですが、他の国も似たり寄ったりだと思います。

 

「世の中いい人ばかりじゃない」

と言うことは、外資系生活を20年以上の中で、強く感じてきました。

 

その意味では、日本と日本人は「甘い」かもしれませんが、非常につき合いやすく住みやすい良い人と国だと思います。

 

ただ、その素晴らしい国民と国家を守る為に、政治家と外交官だけは、この「いい人ばかりじゃない」世界に通用する人達であって頂きたいんですが、、、、

 

2009年1月30日 (金)

消費税の話。上げることに反対はしませんが、、、

麻生首相は、「中福祉・中負担」と言うことで、消費税を3年後に引き上げると言うことにご執心の様です。

 

今は、世界的に景気が減速して極端な需要不足が生じ、どの国も経済状態が非常に悪くなっています。

そこで、どの国もケインジアン総動員体制?で、財政支出(政府の直接支出、減税など)をやって需給をバランスさせ、景気浮揚を図っています。

ところが、その真っ只中で、それにまったく逆行する「増税」の話をしているのが、我が国の現状です。

こんな漢字も空気も読めない首相を持ってしまったと後悔するだけでなく、この国の景気は世界で一番最後にしか浮揚しないのではないかと心配になります。

 

食欲がなくなって体力が落ちている人に、周りが何とか食事をさせようと努力している最中に、

「お前、太ってるな。食べ過ぎるとメタボになるぞ。ダイエットしろ」

と、言う様なものでしょう。

確かに太りすぎは良くありませんから、食事に気をつけろと言う忠告は間違いではありません。ただ、タイミングが、、、、

 

そんな、まったく場違いの増税論議ですが、少し気になっているのは、

「諸外国の消費税は、みんな10%を越えている。日本は低い」

と言う議論です。

 

もっと、きちんと研究をされている方がいらっしゃると思いますので、ヴォータンは気になったことだけ書き留めさせて頂きます。

 

仕事がら海外によく行くので、確かに付加価値税の高さには驚きます。

 

そこで、先日英国に行った時に

「こんなに高い付加価値税がかかるんじゃ、生活が大変だろ?」

と聞くと、

「確かに高い。でも、ゼロ・タックスもあるから、『生活が、、』と言われても、ちょっとどうかな?と思う」

と言う返事が帰ってきました。

 

「ゼロ・タックス??」

 

何じゃそりゃ?と言うことで、聞いてみると、食料品(定義が難しいんですが、どうも「自宅で加工する必要があるもの」と考えると大体当りみたいでした)、本、住宅、子供服などなど、色々なものに税金がかかっていないそうです。

 

食料品と本が非課税と言うのは大きいですね(ヴォータン的には)。

 

もちろん、こんな瑣末な話で「税負担率」と言った大きな議論は出来ませんが、少なくともありとあらゆるものに消費税がかかると言う状況で、「5%だから低負担」と言うレッテルを貼るのは気をつけておいた方が良いと思います。

 

ちなみに、あちらのスーパーなどは内税式なので、自分の買ったものがゼロ税率か17.5%(英国)なのかは、残念ながら分りませんでした。

 

2009年1月27日 (火)

竹中平蔵「闘う経済学」

以前、竹中氏が大臣を辞めた直後に書いた

「構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_c6f8.html

構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌 Book 構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌

著者:竹中 平蔵
販売元:日本経済新聞社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

をご紹介しましたが、こちらはタイトルは何やら怪しげですが、かなり普通の経済政策論の入門書です。

闘う経済学―未来をつくる「公共政策論」入門 Book 闘う経済学―未来をつくる「公共政策論」入門

著者:竹中 平蔵
販売元:集英社インターナショナル
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ヴォータンは、竹中氏の特質は、きちんとまっとうな経済理論に立脚した政策を打ち出すことに加えて、それを現実の政策に持ち込む技術論にまできちんと頭が回ることだと思っています。

理論的に正しいことを象牙の塔の中で言うことは、そう難しいことではありません。

しかし、政策となると「経済理論」の話ではなく、民主主義の政治プロセスの問題、社会学的な問題が絡んで来てしまい、結局実現できないと言うことが多々あります。

本書でも

「経済政策を含めてすべての政策は、民主主義の政策プロセスを経なければ決定できない(中略)。つまり政治的な実現可能性を念頭においた政策論議が必要となる」

と述べています。

その辺りをきちんと理解し、且つどうすれば実現できるかと言うところまで詰めることが出来る日本には稀な学者だと思います。

 

もう一つ挙げるならば、難しいことを理路整然と分かりやすく説明する能力の高い方だと思います。

本書は、教科書も意識している様で数式も出てきますが、決して難しいものではありません。

是非、一読をお薦めします。

2009年1月23日 (金)

金融検査マニュアルの改定?

ヴォータンは、一応日本の銀行に5年以上在籍したので、ちゃんとお札が扇子の様に開きます(*^-)vィェィ

(今は、そう言う芸当を披露する機会は、飲み会の幹事の時ぐらいですが)

 

ただ、ほとんどをディーリング・ルームで過ごしたので、銀行員のシッポが残っているのはその程度で、はっきり言って三重苦の銀行員でした。

 

1)預金が集められない(_o)?  (o_)?

2)貸し金が打てない(-.-)

3)稟議が書けないφ(。。)(-_-;)オイマダカ

 

と言う訳です。

 

ですから、貸し出しに関して、以前から問題にしている様な、

 

「住宅ローンはノン・リコース・ローンに規制しろ」

「法人向け貸し出しに、個人保証をつけさせるな」

 

と言った、マクロ的な話は出来るのですが、はっきりいって現場の話には役に立ちません。

 

そんなヴォータンがこんなことを言うのも何ですが、金融庁のホーム・ページを見ていて????と言う思いを抱きました。

 

トピックスと言う欄に

「中小企業の皆様へ」

(中小企業向け貸出金の条件緩和がしやすくなりました)

と言う項目があったので、クリックすると、、、

 

このタイトルが、どぎつい黄色と赤のグラデュエーションになって、画面いっぱいに広がり、およそ公的機関のホームページとは思えないスクリーンに変身しました。

(ほとんど、その辺の飲み屋のチラシ状態です)

http://www.fsa.go.jp/ordinary/20081120.pdf

 

「金融機関が条件緩和を行っても、不良債権にならない取扱いを拡充しました」

と、続いているのですが、

「不良債権にならない取扱いを拡充」

とはどう言うことなのでしょう?

 

金融検査マニュアルの改定とのことですが、世界的に景気後退が激しくなり、金融機関の貸し出しは、当然不良債権化し易い状況となって来ています。

 

不良債権となった場合には、銀行はその損失を償却しないといけませんから、自己資本が傷つきます。

それが、さらに貸し出し力を弱めてしまい、貸し出しが伸びないと言う悪循環に陥ることから、銀行に対する資本注入(自己資本を元に戻す)や、不良債権の銀行のバランス・シートからの分離と言ったことが行われようとしています。

 

その為、世界中で金融機関は、まず不良債権の償却に奔走しながら、景気後退によって不良債権になりやすい危ない融資から手を引こうとしています。

これは、預金を預かっている金融機関としては、健全な行動です。

 

その最中に、

「条件緩和しても、不良債権にならない、、」

とは、一体どう言うことなのでしょうか?

 

不良債権が増えてもいいぞ!

に聞こえるのですが、、、、

  

これは、ヴォータン以上に貸し出しの現場を知らない官僚の作文だとしか思えません。

どう読んでも

「今までだったら、不良債権となるものを、基準を変えて不良債権とは『見なさないことにする』」

と言っている様にしか思えません。

 

野球をやっていて、

「今までは、ホーム・ベースと一塁・三塁ベースを直線で結んだものがファウル・ラインだったが、今からはその外側1mまではフェアとする」

と言われた様な気がしますし、もっと、感じとして近いのは、ボクシングをやっていて、片方の選手がグロッキーになったところで、

「今までは、1ラウンド3ダウンでKO(不良債権)だったけど、今から5ダウンまではKO(不良債権)とはしない」

とルールを変えたと言っているのと変わらない様に思えます。

 

銀行で貸し出しの現場にいらっしゃる方は、このホーム・ページをどうご覧になっているのでしょう?

 

日頃の金融庁の検査で、異常なまでに厳格な審査を要求されている皆さんには、アンパイヤやコミッショナーが、突然ルールを変えた様に見えるのではないでしょうか?

 

しかも、不良債権が増えて苦しむのは金融機関であって、金融庁ではありませんし、むしろ金融庁から叱責を受けるのではないでしょうか?

 

「不況期に中小企業向け貸し出しが落ちない様にする」

為には、重箱の隅をつついて穴を開けてしまうような検査に没頭するのではなく、

「銀行が株式を保有することを禁止する」

「預金の一定額以上の投資を禁止する」

「自己資本規制比率をBIS基準より厳しくする」

と言う、マクロ的な金融政策をきちんとやっておくべきだったはずです。

 

日本の銀行が、株式持合いと称して株を大量に持っている(それを自己資本としてあてにしている)ので、景気が悪くなって株価が下がると、貸し出しが出来なくなると言うまずい体質になっていることは、周知の事実のはずです。

 

だから、銀行は

「晴れの日に傘を押し売りに来て、雨になると取り上げる」

と言う、行動を取らざるを得ないのですが、、、、

 

ちなみに、米銀は株式保有を禁止されていることも申し添えておきます。

2009年1月22日 (木)

決定版!オバマ大統領就任演説(全文翻訳)

昨日の午前2時。

オバマ新大統領の就任式を見ました。

宣誓の時に、途中で何故か言いよどんだんで???と思ったんですが、ロバーツ最高裁長官の方が緊張してしまって、言い間違ったんだと思います。

宣誓の文言は決まっているので、オバマ大統領は暗記していたでしょうから、相手が間違った時、間違ったまま復唱するべきかどうか迷ったんでしょうね。

 

就任演説も堂々としたものでしたね。

「言葉の威力」を感じさせるに十分なものでした。

 

と言うことで、夜中に寝ぼけて聞いていても良く分らない部分があったので、英文草稿をネットで探して読んでいたのですが、これが意外に難しい。

 

そこで、翻訳を探したら、これがまた悲惨。

 

誤訳やらすっ飛ばしやら、、、もし、プロの翻訳家がこれでカネを取っているんなら、間違いなく詐欺ですね。

 

例えば、最もまともだと思った日経新聞(どうやら、ワシントン支局の記者が訳したようです)ですら、

「偉大さは働いて得たものでなくてはならない」 (働く?)

「我々の収容力は衰えていない」 (収容力?)

「太陽、風、土を使い自動車を動かし」 (土で自動車を?)

「白昼堂々と仕事をしてこそ、、、」 (白昼堂々ねえ?)

「共産主義を倒したのはミサイルや戦車ではなく」 (戦車「だけ」ではなくだと、、、)

「(テロリストに対して)あなた方は我々より長続きすることは不可能であり」(長続きって?)

 

なかなか傑作ですが、読んでいる方は、日本語であることは分っても、何のことやら分らないと思います。

そこで、決定版と思われる翻訳を掲載させて頂きます。

 

これなら、すんなり頭に入るかと、、、、

++++++++++

私は今日、皆さんから寄せられた信頼と、我々の祖先が払った犠牲を心に留め、我々に与えられた任務に思いを馳せながら、厳粛な思いでこの場に立っています。

ブッシュ大統領が、わが国の為に果たした貢献と、政権の移行に際し、寛容でありまた協力を惜しまなかったことに対し、感謝の意を表したいと思います。

これまでに44人のアメリカ人が、大統領としての宣誓を行なってきました。宣誓は、繁栄の波と平和の穏やかな水面に恵まれた中で行なわれたこともありましたが、暗雲がたち込め嵐が吹きすさぶ中で行なわれたこともしばしばありました。

この試練の時に、アメリカが前進を続けてきたのは、単に為政者や官僚の能力やビジョンがすぐれていただけではなく、アメリカの国民が、先達の理想を信頼し独立宣言に対して忠実であり続けたからです。

これが我々の歴史であり、今に生きるアメリカ人もそうあるべきなのです。

我々が危機の真っ只中にいることは、皆さんもよくご存知の通りです。我が国は暴力と憎悪の網を広く世界中に張り巡らそうとする勢力との戦いの中にあります。

また、米国経済は一部の人々の貪欲で無責任な行動の結果だけでなく、我々自身が厳しい選択を避け、次の世代の為の国づくりをきちんとやってこなかった為に、非常に弱体化しています。

住む家も職も会社も失われてきました。我が国で医療を受けようとすると、あまりにお金が掛かりすぎます。またあまりに多くの学校が荒れてしまっています。

我々のエネルギーの使い方自身が、我々の敵を強くしてしまい、また地球を危機に追い込んでいると言うことは、日増しに明らかになって来ています。

今挙げた例は、危機がまさにあること言うことを、データや統計に基づいてお話したものです。

どの程度なのかと言うことを示すことは難しいのですが、「アメリカが没落することは必然である」とか、「次の世代の未来は明るくない」といった不安感にさいなまれ、アメリカ全体が自信を失ってしまっていると言う深刻な事態であることは、間違いありません。

私は今日ここに、「我々は現実問題として、非常に深刻な多くの試練に直面している」と宣言します。これは簡単に解決出来るものでもなければ、すぐに解決出来るものでもありません。

しかし、我々は知っているではありませんか。アメリカがこれらの問題を解決する日が必ず来ると言うことを。

我々が今日この場にいるのは、恐怖ではなく希望を、争いや仲違いではなく目的に向かって団結することを選んだ為です。

我々は今日この場で、つまらない不平を言い立てたり、出来もしない約束をしたり、批判の為の批判をしたり、時代遅れの教条主義に陥ったりして、あまりに長きにわたって我が国の政治を無能にしてきたものと決別することを宣言します。

アメリカは若い国です。しかし、聖書には、子供じみた振る舞いをやめる時が来たと言うくだりがあります。

我々の不撓不屈の精神を再認識し、より良い歴史を作り上げ、「神は、すべての人は平等であり、すべての人は自由であり、すべての人に幸福を最大限に求める機会が与えられると約束された」と言う何世代にもわたって受け継がれて来た、高貴な理想、貴重な賜物を次の世代へと引き継いでいく時が来たのです。

アメリカが何ゆえに偉大なのかと言うことを省みると、偉大さとは決して与えられるものではなく、勝ち取らねばならないものであることが分ります。

アメリカがこれまでにたどって来たのは、近道でもなければ平坦な道でもありませんでした。その道とは、働くことよりも享楽にふける事を好んだり、豊かになり名声を得ることだけを追い求めたりする意思の弱い人の歩む道ではありませんでした。

我々の歩んできたのは、リスクに敢然と立ち向かう人、実行力のある人、様々なものを作り出す人の道なのです。一部の人々は賞賛を浴びることとなりましたが、多くは、長くつらい行程を歩み、我々を繁栄と自由に導きながら、その働きを知られることはありませんでした。その道とは、この様な人々の歩んだ道なのです。

彼らは、我々の為に、世俗的な欲望などを持たずに、新天地を求めて大海原を越えて来たのです。

彼らは、我々の為に、劣悪な条件の工場で根気よく働き、ムチに耐えながら荒地を耕して、西部を開拓したのです。

彼らは、我々の為に、コンコード*や、ゲティスバーグ、ノルマンディーやケサン**の様なところで闘い、死んだのです。

*コンコード:独立戦争の激戦地

**ケサン:ベトナム戦争の激戦地

彼らは何代にもわたり、我々の生活を向上させる為に、手が荒れてしまうまで働き、もがき苦しみ、犠牲を払って来ました。

彼らは、アメリカとは、個人の大望を集めたものよりも大きく、生まれや富、党派を超えた偉大であると考えていたのです。

これこそが我々が今日たどっている道なのです。

アメリカは地球上で最も繁栄し、最も強大な国家です。アメリカの労働者の生産性が今の危機が勃発した時と比べて落ちている訳ではありません。先週、先月、いや去年と比べて我々は創造心を失った訳でもなければ、我々の商品やサービスが必要とされなくなった訳でもありません。我々は依然として高い能力を持ち続けているのです。

しかし、過去に固執し、ごく限られた人の利益を守り、気の進まないことの意思決定を先延ばしする時代は、間違いなく過去のものとなったのです。

我々は、今日から立ち上がり、ホコリを払い、アメリカの再建と言う作業に再び取り掛からねばならないのです。

どこを見渡しても、我々がやるべきことがあります。経済の状態を見れば、思い切ったそして迅速な行動が求められていることが分ります。我々は間違いなく行動を起こします。そして、単に新たな雇用を生み出すだけではなく、成長の為の新たな基盤を作っていきます。

我々は、商業活動や人々の結びつきを支える配電網やデジタル通信網、道路、橋を作っていきます。また、科学を本来あるべきところに位置づけ、科学技術の発達により医療の質を向上させコストを下げていきます。

さらに、自動車の燃料とし、工場を動かす為に、太陽光や風力、農業を利用して行きます。初等から大学まで教育改革を推し進め、次世代の要求に応えられるものにします。

我々はこれらをすべてやることが出来ますし、やり遂げて行きます。

さて、中には我々の制度は、これほどまでに多くの大掛かりなプランに耐えられないであろうと言う事を示唆して、「我々がやろうとしていることは、規模が大き過ぎるのでは無いか」と疑念を持つ人がいます。

その様な人達は、過去の歴史を覚えていないのです。

この国が成し遂げてきたこと、想像力が共通の目的と結びつき、勇気が与えられた時に、自由な国民が何を成し遂げることが出来るのかを忘れてしまっているのです。

皮肉な見方をする人達は、地殻変動が起きているということに気付いていないのです。

長い間我々の時間や体力を無駄に費やさせてきた、古臭い政治的な論争点はもはや通用しません。

我々が今日議論すべきなのは、「政府が大きすぎるのか小さすぎるのか」と言うことではなく、国民が適正な収入を得る仕事を見つけ、医療サービスを受けることが出来るようになり、自信と誇りをもって引退出来るのかと言うことに関して、政府が機能するのかと言うことなのです。

その答えがイエスである分野に対しては、我々は前進を続けようと思います。ノーと言うことであるならば、歩みを止めます。

我々公金を管理する者は、適切に支出し、悪弊を改め、業務をガラス張りにする責任があります。何故ならば、それだけが国民の皆さんと財布との間にしっかりとした信頼関係を取り戻す手立てだからです。

市場の力と言うものが、善であるのか悪であるのかと問うことには意味がありません。富を生み出し、自由を広げるという点で、市場にかなうものはありません。

しかし、今回の危機は、きちんとした管理がなされていないと、市場は制御不能となってしまうと言うこと、その結果国家と言うものは富める者のみを優遇していては、長く繁栄を続けることが出来ないと言うことを我々に思い起こさせました。

我々は、経済がうまく言っているかどうかと言う点に関して、単にGDPの大きさで測るのではなく、繁栄の恩恵がどこまで広範囲に及んでいるのか、やる気のある人みんなにチャンスを与えることが出来ているのかと言ったことをいつも見てきていました。これは慈善と言う観点からではなく、我々の共通の利益にたどり着く為の最も確実な道だったからです。

国家の防衛と言うことに関して、安全と理想を両天秤に掛けて選択をせねばならないと言った考え方は、間違っています。建国の父達は、我々が想像することすら出来ないほどの大変な危難に直面した際に、法の支配と国民の権利を保証する為の憲章を起案し、それはやがて何代ものわたる血であがなわれた犠牲の上に充実したものとなってきました。

この理想は今も世界を照らし続けており、我々はご都合主義で手放すつもりはありません。

巨大な都市から私の父が生まれた様な寒村まで、今日の就任式を見ている世界中の人々や政府に対して申し上げます。

アメリカは、平和で人間としての尊厳を保てる未来を求めるすべての国、すべての男性、すべての女性、そして子供にとっての友人であり、アメリカには再び世界をリードする用意があります。

思い出してください。我々の前の世代は、ミサイルや戦車だけで共産主義やファシズムと闘ったのではなく、頼もしい同盟国と強い信念の下に敢然と立ち向かったのです。

先人達は、力だけでは我々を守ることが出来ず、ましてや我々は力を振り回すことを許されてはいないと言うことを自覚していました。先人達は、我々の力は、むしろ慎重に使われることによって大きくなること、我々の安全は(力の行使の)動機が正しいものであり、模範を示す力があり、謙虚さや自制心を持って物事に対処することから生まれると言うことを知っていたのです。

我々はこの遺産を守る者達なのです。もう一度この原則に立ち返ることで、我々は、国家間のより強い協調と理解と言った、より大きな努力を持って対処せねばならない新たな脅威に対して立ち向かうことが出来るのです。

我々は責任ある形で、イラクをイラク国民の手に委ねると言う作業に入り、強く望まれているアフガニスタンにおける和平に向けて前進します。

古くからの友人やかつて敵対した人々と共に、核兵器の脅威を軽減させ、地球温暖化と言う悪夢を撃退する為に、たゆまない努力を続けていきます。

我々は自らの生活様式について言い訳をするつもりは無く、それを守ることに関して迷いはありません。そしてテロと無辜の人々を殺戮することで目的を達しようとする者達に告げます。「我々の意志はさらに強固となり、敗れ去ることは無い。先に倒れるのはお前達であり、我々はお前達を必ず粉砕する」と。

我々の多様性と言う遺産は強みであり、弱みなどではありません。アメリカは、クリスチャン、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒そして無宗教の人達からなる国家です。アメリカは、地球上のあらゆる地域から集まった言語や文化によって形作られています。

我々は南北戦争と人種隔離政策と言う苦い経験と、その暗黒の時代からの脱却し、より強い結束をすると言う経験をしました。その為、遺恨と言う物はいつしか消え去り、民族を隔てる障害はいずれなくなり、世界が小さくなるに連れて人類共通の博愛の精神と言うものが現われ、アメリカは平和な新時代の先駆者とならねばならないと強く信じています。

イスラム世界に対しては、共通の利益と相互に尊敬しあうという理念に基づいた、新たな関係を模索します。

対立を煽り、自らの社会の病理を西側世界のせいにしている世界中のリーダー達は、自国民は、お前達が何を破壊するかではなく、何を作り上げることが出来るのかで審判を下すであろうことを知るべきなのです。

汚職や詐欺を働き、抵抗するものの口を封じることで権力にしがみついているリーダー達は、自分たちが歴史の裏街道をたどっていることを知るべきなのです。

しかし、その様な者達であっても、自らそのこぶしを解くのであれば、アメリカは手を差し伸べる用意があります。

貧しい国の人々に対しては、農園を豊かにし、清らかな水が流れるようにし、飢えた心と体を満たす為に共に働くことを約束します。

アメリカの様に富める国の人達に申し上げたい。我々はもはや諸外国の人々の苦しみに無関心である訳にはいきません。またその与える影響を考慮することなく世界の資源を浪費することも出来ません。世界は変わっているのです。それに合わせて我々も変わらねばならないのです。

我々の前に現われた道を見つめていると、今のこの時にも、はるか彼方の砂漠や遠い山中をパトロールしている勇敢なアメリカ人のことが目に浮かび、深い感謝と敬虔な心持ちになります。

アーリントン墓地に眠る英霊たちが、時代を超えて我々に語りかけてきたのと同様に、彼らも我々に深い感銘を与えているのです。

我々は、単に彼らが我々の自由を護ってくれているから感謝していると言うだけではありません。かれらこそ人の為に尽くすと言う精神、自分個人と言ったものを超越したものに意味を見出すことの素晴らしさを体現している人々なのです。

そして「今の時代」と定義される今この時こそ、この精神が我々すべての人々の中に共有されなければならないのです。

政府にはどこまでのことが出来、また何をせねばならないのでしょうか?それは突き詰めれば、国民の皆さんが寄って立つ「アメリカ人としての信念と決意」に掛かっていると言えます。

堤防が決壊した時に見知らぬ人を(自宅へと)受け入れる優しさ、友人が職を失ってしまい最悪の事態に陥るのを目の当たりにするくらいなら、むしろ自分の働く時間を短くしようとする無私の心、煙が充満する階段に飛び込んで行く消防士の勇敢さ、また子供を育んで行こうと言う親心、これこそが我々の運命を決定付けるものなのです。

我々が挑戦しているものは、新しい性質のものであるかもしれません。そして、それに対して対処する為に我々が取るべき手段も新しいものとなるかもしれません。

しかし、我々が挑戦して成功するか否かは、勤勉、誠実さ、勇気、公正さ、寛容、好奇心、忠誠心そして愛国心と言った伝統的な価値観にかかっているのです。これらは普遍の価値であり、我々の歴史を通して、前進の為の静かな力となってきたものなのです。

そして今求められているのは、この普遍の価値に戻ることなのです。今我々に求められているのは、新しい時代の責任感なのです。一人一人のアメリカ人が、自分自身、国家、そして世界に対して責任を負うと言うことを自覚することなのです。

その責務をいやいや引き受けるのではなく、困難な仕事に全身全かけて取り組んでこそ、我々らしさが発揮され、我々自身が充実感を味わうことが出来るのだと言うことを自覚して、むしろ喜んでその責務を果たしにいかねばならないのです。

れは、市民権と言うものに対する代償であり契約なのです。

れこそが自信の源なのです。我々は神が定かでは無い運命を形作る様命じていると言うことを自覚せねばならないのです。

れが、あらゆる人種や宗教の人々がこの(就任式が行なわれている)立派なモールに集うことが出来、60ほど前ならば、地元のレストランで食事をさせてもらえなかったであろう父を持つ男が、皆さんの前に立ち、最も厳粛な宣誓を行なうことが出来ると言う我々の自由と信条の意味するところなのです。

我々は何者であるのか、そしてどれほどの道を歩んできたのか、今日という日を、そのことを我々の記憶に留める日としようではありませんか。

アメリカ建国の年。厳寒の時に、わずかな人数の愛国者達が、凍りついた川べりの今にも消えそうな焚き火の周りに集まりました。

首都は放棄され、敵は前進を続け、雪は血で染まっていました。我々の革命(独立)の行方が最大の危機に瀕した時に、建国の父達は以下の文章を読むようにと命じました。

後世にこう語られるようにしよう。厳寒の中で希望と勇気だけが生き残ることが出来た時代、、、、すべての人々が危機に瀕した中で、この都市とこの国はそれに立ち向かった」

アメリカよ。

の厳しい状況に直面した冬、すべての人々が危機に瀕している時に、この永遠不変の言葉を思い出しましょう。

希望と勇気をもって、氷の様に冷たい流れにもう一度立ち向かい、どの様な嵐にも耐えようではありませんか。

我々の子孫たちに、

試練に直面したこの時代の人々は、前進することをやめず、引き返すこともなく、そしてたじろぐこともなかった。地平線の彼方にまなざしを定め、神の恩恵を受け、自由と言う偉大な遺産を運び続け、次の世代に無事に送り届けたのだ」

語り継がせようではありませんか。

Thank you. God bless you and God bless the

United States of America

.

+++++++++

2008年12月12日 (金)

古館一郎氏に見る「危険なアジテーション」

11月6日に

 

>先日「報道ステーション」を見ていて

>「これは、書いておかないと」

>と言うことがあるんですが、来週以降になりそうです。

 

と書いていたら、その後、年度末に突入してしまい、そのままになってしまっていました。

 

まだ、結構忙しいのであまり突っ込んでは書けないのですが、少なくとも問題提起だけはしておきたいと思います。

 

ヴォータンは、ほとんどTVを見ません。

ニュースに関しても、会社でロイター、ブルームバーグ、CNNなどの通信社の端末やTVを直接見ていますから、敢えてそれらを孫引きした遅いTV報道を見る必要はありません。

ただ、日本の社会面ネタは、さすがにロイターなどには出ませんので、時々TVでチェックをしています。

 

余談ですが、最近は有り難いことに、「字幕」をつけてくれるので、ニュースの時でも音を消しておくことが出来ます。お陰でよくとちるアナウンサーにイチイチ不満を感じなくても済む様になりました。

 

音楽を聴きながら、PCに向かって仕事をしながら、ついでにニュースもチェック出来ると言う非常に便利な状況です。

 

自分が出演してみて分るのですが、TVの限られた時間では、ある事象に対するきちんとした議論・解説をするのは不可能です。

ですから、TVのニュース・ショー、ワイド・ショーなどで、ズラリと並んで短いコメントをしているコメンテーターの話は聞くだけ無駄です。

きちんとした議論は、文芸春秋、中央公論その他の活字媒体に、きちんと当たるべきだと思います。

  

さて、その為、「報道ステーション」などと言う馬鹿馬鹿しい番組は見たことがなかったのですが、先日偶然音を出したままにして見てしまいました。

 

すると例の古館伊知郎氏が、プロレス中継時代とは打って変わった口調で話をしていました。

 

問題は、その中身です。

 

ともかく、最近の金融関係のニュースとなると、二言目(いや一言目)には、

「マネー・ゲーム」

と言う単語を使います。しかも、前後の脈絡無く、いきなり

「マネー・ゲーム」

と叫べるところは、さすがは元プロレス中継専門アナウンサーだと思います。

 

もちろん「マネー・ゲーム」と言った場合には、明白に非難のニュアンスが込められています。

まあ、プロレスの善玉Vs.悪玉と同じで、

「我々『庶民』は、汗水たらして必死に働いて稼いでいるのに、あの連中はマネー・ゲームに興じて、金を右から左に流すだけで高い給料をとって、、、」

と言う非常に単純な

真面目な庶民 Vs. マネー・ゲームに興じる虚業人

と言う図式を、これでもかと言うほど繰り返してまいた。

 

確かに、私自身このブログの

「米投資銀行は何を間違ったのか」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-2577.html

で、議論したとおり、「問題はある」と認識しています。

 

しかし、古館氏の様に、非常に単純な善悪二元論は、思考停止そのものですので、非常に危険なアジテーションでしかありません。

後述しますが、金融がしっかりしないと国民は豊かになれません。

 

そこの議論をすっ飛ばして勧善懲悪論的なアジテーションをやる人は、おそらく他の問題においても単純なアジテーションをやっているだろうと容易に推測できます。

 

「坂の上の雲」と言う名著がありますが、その中で日露戦争当時、日本の新聞が好戦論を派手にぶち上げ続け、国民がみずから戦争に突っ込んでいった様が描かれています。

 

むしろ、現場の軍人や政治家達が、それをいかにして抑えながら、最終的に日露戦争を「引き分け」に持ち込んだのかと言う話なのですが、古館氏の口吻は間違いなく煽りに煽った当時の新聞と何等変わらないものです。

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫) Book 坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

著者:司馬 遼太郎
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しかも、古舘氏は「額に汗して働く」と言う彼の言うカテゴリーには絶対にあてはまらない仕事をして、時給数百万円?を稼ぐ人です。

きちんとした論説をやる人ではありませんから、悪い表現を使えば電波芸者、おシャベリ貴族です。

その人が、単純な図式の庶民の味方勧善懲悪劇をやることは、不快でしかありません。

 

さて、ここからの議論は古舘氏には決して分らないでしょうね。

 

「金融立国見直し論」

と言うより

「金融立国否定論=製造業優先論」

と言う単純な図式に入るのは危険です。

 

強い金融力を持つことは、「モノ作り大国日本」にとっても大切なことなのです。

 

例えば、日本できちんと付加価値を付ける仕事をしている企業の大半は、海外展開をしている輸出型企業です。

国内向け製造業および非製造業は、低生産性に甘んじており、国民に付加価値をもたらしていません。

 

その海外展開している輸出型企業、もしくは国内にあっても高付加価値をつけている企業は、今後いやおう無く国際的な合併、合弁、買収、提携と言った企業再編に巻き込まれる(もしくは飛び込んでいかざるを得ない)と思われます。

別に海外展開していな企業でも、付加価値をきちんと生み出している企業には、合併に限らず、海外から色々な話が飛び込んでくるはずです。

 

その際に必要なのは、金融力です。企業自身の財務力ももちろん大事ですが、それをきちんとサポートできる金融力がないと、モノ作り企業は国際競争に勝ち抜くことが出来ません。

 

確かに、金融だけで食って行こうとした英国やシンガポール、破綻したアイスランドの行き方は、明らかに行き過ぎだったと思います。

その点、日本はすぐれたモノ作りの土台がある訳ですから、そこにすぐれた金融力をつければ、世界に冠たるバランスの取れた国となるはずです。

 

もう一つ付け加えるならば、金融部門が強くない国は、せっかく「汗水たらして」モノ作りにはげんで稼いだ金を、いつの間にか取られてしまうことにもなってしまうことを忘れてはいけません。

世界は良い人ばかりじゃありませんから。

 

2008年10月15日 (水)

3K移民を禁止せよ

お陰さまでヴォータン家の娘も、無事就職活動を終え、来年春から働くことになりました。

 

今年の就職戦線は、昨年同様売り手市場と言われていた様ですが、昨年の夏以来の金融危機の状況と世界的な景気の後退を市場で見ている立場からすれば、

「本当か?」

と言うのが、ヴォータンの本音でした。

 

我が家の娘の場合は、理系と言うこともあり、ちょっと特殊だった様で、実は数ヶ月前にもう決まっていたのですが、色々と聞いてみると今年も相当厳しかった様です。

 

どうも就職関連の記事を書いている人達は、日頃経済事象を見ている人達ではありませんから、どうしてもこの辺りの生の経済感覚が無いのだと思われます。

 

さて、また就職氷河期が来ようとしている(来年は、間違いなく氷河期です)時に、昨日経団連が

「移民受け入れを」

と言う提言書を公表しました。

 

内容は以下のとおりです

++++++++++ Nikkei Netより +++++++

日本経団連は14日、人口減少社会に向けた提言書を公表した。高度な技能をもつ人材や留学生を中心とする移民を海外から受け入れ、日本経済の競争力を保つべきだとの見解を示した。これまでも外国人の働き手が必要と主張してきたが、移民の受け入れまで踏み込んだのは初めてとなる。

 「人口減少に対応した経済社会のあり方」と題する提言をまとめた。今後50年の間に、日本では働き手となる15―64歳の人口は4600万人弱に減る。今よりも半減することを踏まえ、人材確保が欠かせないと強調した。その柱として「日本型移民政策」の検討を掲げ、関連法整備や担当大臣設置を求めた。高度人材や留学生に加え、看護師といった一定の資格をもつ「中度人材」の活用にもふれた。

 経団連の試算によると現状の医療・介護分野のサービスを維持するには2055年時点で約180万人が足りないという。単純労働者については「先進国の過去の移民政策の失敗もあり、さらに議論を深めていくべきだ」と慎重な姿勢を崩していないが、相当規模の受け入れを想定した議論が欠かせないとした。

++++++++++++++++++++++++

 

実は、ヴォータンは以前移民問題でブログを書いたことがあります。

今、読み直してみると、多分に直感的な「感想」でしかないのですが、そう的は外していないと思っています。

「移民、不法就労、人道的な立場とは?」(2007年5月6日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_a580.html

 

おまけですが、経団連の言う「留学生の受け入れ」に関しても、書いていますので、ご参考までに(悲惨な話ですが)。

「留学生を買い負ける日本」(2008年2月16日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_4957.html

 

まあ、ヴォータンが「単純労働者を入れると、、、」と書いているくらいですから、経団連も内心忸怩たるものがあるのでしょう、

「先進国の過去の移民政策の失敗もあり、さらに議論を深めていくべきだ」

と書いていますが、本音は日経の記者が書いている通り

「相当規模の受け入れを想定した議論が欠かせないとした」

と言うところです。

 

本当に問題の深刻さを認識して、真摯に対峙するならば、

「絶対に受け入れない」

と明言出来るはずです。

 

「失敗もあり、さらに議論を深めていくべきだ」

と言うのは、いわゆる官僚の作文で、前半の

「失敗もあり」

に引っかかってはいけません、後半の

「議論を深めていくべきだ」

を入れたことに重要性があります。つまり、このフレーズが入ることで

「議論をする=やる」

と言うことになる訳です。

 

以前長々と書いてしまったので、移民問題に関する基本的な認識は、そちらをお読み頂きたいのですが、ヴォータンの主張のポイントは、

 

「移民を受け入れるならば、普通の国民としてきちんと敬意を持って処遇しなさい」

 

と言うことです。

 

間違っても、

「日本人が嫌がってやらない仕事は、安くて雇える外国人(貧しい)にやらせれば良い」

と言うベースで考えてはいけません。

 

不法移民を3K職場で使っていて摘発されたある経営者が、

「こんな仕事は、日本人は誰も応募しない。外国人がいないと成り立たない」

と開き直っていましたが、とんでもない話です。

 

その安い外国人を雇う事で、その仕事の給与水準が安くなり、ますます日本人がその仕事につかなくなっているだけです。

 

その経営者に、

「月給20万円を払ってくれれば働くよ」

と言ったとすると、こう答えると思います

「うちじゃ月給15万円で働く外国人がいるから、あんたはイラナイ」

 

しかも、そういう3K職場には外国人ばかりだと言うことになると、日本人の中で「差別意識」が出来ます。

「あんな仕事をしないで済む。おれは日本人で良かった」

と言ったところでしょう。

 

それが、いわゆる「いじめ」につながる事は、簡単に想像できます(それでなくても、異質なものを嫌う社会ですから)。

 

 

これ自身も嫌なことですが、さらに問題なのは、彼等外国人だって3K仕事はしたくないと言うことです。

日本人と同じ人間だと思えば、この程度のことはすぐに思いつくはずです。

 

ただ、彼らが3K仕事が嫌だと言っても、そう簡単に「良い仕事」が見つかるわけではありません。

 

海外の例を見れば分るとおり、その行き着く先は、麻薬、売春、犯罪です。

 

それが、さらに外国人に対する偏見、差別意識を助長すると言う悪循環が起きてしまいます。

 

経団連の提言でも、少子化と言うことで何か暗い時代がくるかの様に書いていますが、つい最近まで人が多すぎて住む場所も狭く、ラッシュはひどく、、、、と言っていたのは、一体なんだったのでしょう?

 

「50年の、、、」云々と書いていますが、50年後の人口動態を本当に予測できるのでしょうか?

逆に、25年程度ならほぼ正確でしょうが、50年となると道路公団の需要予測と同じで、マユツバものです。

 

間違っても、3Kの仕事をさせる為に外国人移民を入れるなどと言うことをやってはいけません。

これは、外国人を「人」と見ない非常に失礼な姿勢ですし、諸外国同様国内に悲惨な状況を作り出してしまいます。

 

人口減少社会が暗いものであるかの様な誘導に乗ってはいけません。

 

今の、ものすごい生産性の高さ(20年前と比べても)を考えると、人口減少は暗い世界ではありません。

 

2008年10月 5日 (日)

エコノミストたちの栄光と挫折-路地裏の経済学・最終章

もしかしたら、40代以下の方には「長銀調査部の竹内宏」と言う名前は、なじみが無いかもしれませんが、70年代後半から90年代半ばに、非常にユニークな視点での著書を多く書かれた方です。

代表作としては「柔構造の日本経済」「路地裏の経済学」がありますが、まだ重厚長大一辺倒だった日本の産業に関する理解を、「ソフト」「サービス」と言う観点から捉えたもので、非常に新鮮なものでした。

エコノミストたちの栄光と挫折 ─路地裏の経済学・最終章─ Book エコノミストたちの栄光と挫折 ─路地裏の経済学・最終章─

著者:竹内 宏
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この本は、その竹内氏が属した日本長期信用銀行調査部の盛衰を書き留めたものです。

 

内容としては、ヴォータンの様な同時代人にとっては、きちんと足で稼ぐエコノミスト達が大活躍出来た時代が思い起こされて、ただただ「懐かしい」ものです。

 

また、余談ですがヴォータンは就職先を選ぶ時、

「興銀、長銀の様な奇形とも言える制度で守られた組織は、いつかは滅びる」

と勝手に判断していました(結果的に、正しかったのですが)。

 

本書を読んでいて驚いたのは、ヴォータンと同じ事にずっと前に気付いている人が長銀の中にいたことです。

+++++++++ P.48 +++++++++++

私が54年に長銀に入行した時、新入社員に対する訓話で、倉科茂夫(営業部次長、後に副頭取)は、「長銀は制度銀行だから長持ちしない。転職の覚悟をしておくように」とショッキングな話をした。

+++++++++++++++++++++++++++

 

また、ヴォータンはこのブログで再三「前川レポートの理論的間違い」を指摘してきたのですが、

「前川レポートの恥ずかしい中身(再論)」(2008年2月10日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_3a3b.html

「前川レポートの恥ずかしい中身(再録)」(2008年1月22日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_2872.html

竹内氏も

++++++++++ P.242 +++++++++++

しかし、前川レポートには無理があった。貿易収支は二国間の貯蓄・投資構造で決まるものであって、日本の内需だけを拡大しても貿易の不均衡は治らない。

(中略)

前川春雄のような才人が間違えるはずがない。余程アメリカの圧力が強かったに違いない。

+++++++++++++++++++++++

と、その理論的あやまちを正しく指摘しています。

 

ヴォータンは、単に

「黒字でゴメンナサイ」

などと言う、

「理論的に間違ったレポートを出したことで、前川氏が国益を害した」

として批判しているのですが、ヴォータンより一回り以上上のこの碩学は、間違っていることは明白に認めているのですが、それがアメリカの圧力であったと推論して前川氏をかばっています。

氏の業績には、非常に敬意を表するのですが、このあたりが長銀の暴走と破綻を止められなかった原因の一つではないかと思います(氏は、「専務」まで務めています)。

 

また、長銀が破局に向かった原因に関して、明確な表現は避けていますが、

++++++++++ P.244 +++++++++

それまでの長期経営計画を作成する時には、まず調査部が経済や経営環境の長期見通しを立て、それに基づいて企画部が長期経営方針の案を作成し、現場の意見を聞いて訂正し、最終計画を仕上げた。ところが、第六次長計では、億単位の料金を払ってすべてマッキンゼーに任せた。

(中略)

第五次長計では国内融資の縮小という方針が決まったが、まず目先の不動産融資で利益を稼ぎ、将来に備えるように変更され(以下、略)

++++++++++++++++++++++++++

 

としています。長銀の凋落が決定的となる過大な不動産融資への傾倒の原因はここにある訳です。

 

周囲が非常に高く評価する調査部を持っていながら、上層部はそのレポートが意に沿わなかった(長銀の凋落を示唆するものまであったくらいですから)為に、外部のコンサルにカネを渡して、都合のよいレポートを作らせたと言うことですね。

 

この前後を読むと、氏がコンサルをまったく信用していなかったことが、行間から強く感じられます。

不幸にしてヴォータンも、コンサルに関しては同様の体験・感想しかありません。

 

この本を読んで、当時の「エコノミスト」に興味を持たれたならば、是非「路地裏の経済学」をお読みになってみてはいかがでしょうか?

「日本的」と評して良いと思われる上質のレポートだと思います。 

 

2008年10月 1日 (水)

民主党のアメリカ共和党のアメリカ

民主党のアメリカ共和党のアメリカ (日経プレミアシリーズ 15) Book 民主党のアメリカ共和党のアメリカ (日経プレミアシリーズ 15)

著者:冷泉 彰彦
販売元:日本経済新聞出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

先日、アメリカの下院で、いわゆる金融安定化法案が予想外の「否決」となった為に、NYダウが911以来となる777ドルも急落しました。

金融安定化法案に関しては、日経新聞などできちんと内容が報道されているので、そちらを参照していただくとして、ヴォータンは自分自身の体験もありますが、それを補強する上で、この本を読んでいたお陰で、「否決」は意外ではありませんでした。

 

答えは簡単です。

「あの、草の根の保守層が、この様な政府支出にYesと言う訳が無い」

と言うことです。

 

著者の冷泉氏は、アメリカ在住の作家ですが、アメリカの社会に関して非常に冷静なレポートを送り続けている方です。

 

ヴォータンは、アメリカがレッド・ステート(保守的=共和党支持)とブルー・ステート(リベラル=民主党支持)に分裂していることは、前回のブッシュVs.ケリーの大統領選挙で非常に強く感じたのですが、もはや「ステート=州」単位の分裂ではなく、州の中でも都市部(含む都市近郊)とそれ以外で明らかな分裂が起きていると見ています。

その見方があながち外れでは無いことがこの本を読むとよく分ります。

 

また、保守とリベラル、小さな政府と大きな政府、プロ・ライフとプロ・チョイス、銃規制賛成と反対の真の背景と言った、絶対に理解しておくべき概念についても、極めて分りやすく丁寧に書かれています。

 

冷泉氏は、レポートを読む限りリベラル=民主党支持だと思われますが、この本はその様な党派性を超えて、アメリカの思想としての分裂状態に関して、非常に鋭いレポートとなっています。

 

アメリカ嫌いだろうがアメリカ好きだろうが、この地球上に生きていく限り、このアメリカと言う国・アメリカ人と否応無く付き合っていかねばなりません。

 

世の中には、いい加減なアメリカ批判やアメリカ礼賛本が大量に出回っていますが、その様なものを読む必要は一切ありません。

これは、誤ったアメリカ理解をしない為に、是非読むべき良書だと思います。

 

 

2008年9月29日 (月)

日本の食と農 危機の本質

日本の食と農 危機の本質 (シリーズ 日本の〈現代〉) Book 日本の食と農 危機の本質 (シリーズ 日本の〈現代〉)

著者:神門 善久
販売元:NTT出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

食物に関しても、農業に関しても、ヴォータンは素人です。

ヴォータンの母方の一族は、ある谷全体がどこかで血縁でつながっていると言う農家の集団なので、話を聞くことはありますが、一度も一緒に生活をしたことが無いので、やはり素人です。

その為、このブログでも「食」「農」に関しては、経済学的な視点から、BSEの騒動などに関して、変化球を投げることしか出来ていません。

 

「何を「食」べれば安全か!」(2007年9月17日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_6268.html

「米国産牛肉輸入問題、本当に損をしたのは誰?」(2007年8月12日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_931e.html

「米国産牛肉輸入再開(再掲載)」(2006年9月24日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_9676.html

 

それでも、非常に重要なことだと言う問題意識を持っていたので、この本の内容には非常に感銘を受けました。

 

まず、自分自身の姿勢を反省させられます。

民主主義国家における市民である自分自身が怠慢であったことこそが、今の食の問題の根本的な原因であると言うことを自覚させられます。

しかも、意識の高い市民のつもりで、安易に行政を批判することが、逆に既得権益を守ろうとする集団を利することになることを知らされます。

最後に、JAと言うものの存在の恐ろしさ(安易に「農協」などと考えてはいけない)を知り、また農地とそれをめぐる権益と言うものの、おどろおどろしい世界を見せつけられます。

最後の章で提案されている、外国人労働者の導入に関しては、ヴォータンは反対ですが、それにしても日本の「食」と「農」について考えさせられる良書だと思います。

特に、「安全」と「安心」については、以前のブログにも書きましたが、日本人としてはよく考え直す必要があると思います。

 

 

2008年9月24日 (水)

なぜビジネス書は間違うのか

ヴォータンは嫌と言うほど本を読みます(実際、図書館から徒歩1分のところに住んでいます).

ただ、いわゆるビジネス書と言われるものは、30代の半ばで読むことをやめてしまいました。

と言うのも、それまで素晴らしい業績を上げ、対談集や、インタビュー記事でも素晴らしい発言をしていた経営者が、バブルの崩壊以後一転して業績を悪化させ、やがて表舞台から消えてしまったと言う例をいくつも見てしまったからです。

その会社を持ち上げる本は山積みになっていましたし、ついでに言えば、

「日本的経営の素晴らしさ」

と言った本も沢山ありました。

 

また、ある成功した人の「成功談」と言ったものも沢山読むことになりましたが、結果は似た様なものでした。

 

オフィス街の本屋に行くと、依然としてビジネス書と言うカテゴリーに入る本が山積みになって、真面目そうな若いサラリーマンやOLが手に取っています。

その中には、確かにきちんとしたリサーチに基づいたものも無い訳ではありませんが、大部分ははやりの会社や個人を思いきり持ち上げた「ヨイショ本」か、思いつきで書き散らした「コピペ本」か「トンデモ本」でしかありません。

 

リサーチに基づいたものであっても、成功した会社や個人をテーマに、

「あの会社(または、私)は、こうして成功した」

と言う説明をしているだけで、それ以上の内容のものはありません。

 

その裏をかくと言う視点で、

「あの会社(または、私)は、何故失敗したか」

と言うものもありますが、「失敗の本質」を越える分析のなされたものは見たことがありません。

 

ちなみに、この本は「軍事」を取り扱っていますが、組織論として非常に興味深いものがあり、下手なビジネス書よりはるかに勉強になります。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫) Book 失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

著者:戸部 良一,寺本 義也,鎌田 伸一,杉之尾 孝生,村井 友秀,野中 郁次郎
販売元:中央公論社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

さて、いきなり

「ビジネス書やハウツーものは読まず、古典やきちんとした論文を読みなさい」

と言っても、本屋の店頭に行くと、ついついあのド派手な表紙(なぜか著者の写真入りが多いですね)と、扇情的なタイトルに引き寄せられてしまうと思いますので、冷静になって頂くためにこちらをお勧めします。

 

なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想 Book なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想

著者:フィル・ローゼンツワイグ
販売元:日経BP社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

ハロー効果(後光効果?ですかね)と言う概念と、きちんとした長期に渡る実証分析(と言うより、興亡を全部追いかけて、それがどう評価されたかをしつこく追いかけた)により、成功すれば「あばたもえくぼ」、失敗すれば「おぼれる犬を叩く」と言う評価となることを示しています。

 

色々なビジネス書を読む前に、こちらを読めば、週刊誌的興味以外では、二度とビジネス書コーナーには近づかなくなると思います。

 

そうして空いた時間に、論語や徒然草、歎異抄でも読んだ方が、、、、

 

おまけです↓

「『お金は銀行に預けるな』は見事なコピペ本でした」(2008年7月3日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_a8f6.html

 

「経済学の終焉!?大前研一氏の終焉」(2006年9月16日)

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_808c.html

2008年9月23日 (火)

三菱UFJのモルガン・スタンレーへの出資は純投資

三菱UFJフィナンシャル・グループがモルガン・スタンレーの第三者割当増資を9000億円余で引き受けて、筆頭株主となると言う報道が出ました。

「グローバルな投資銀行業務で提携関係を構築する」

のが目的と言うことですが、ヴォータンは、

「単にカネを出して株主になっただけ(純投資)」

で終わると思っています。その意味では、産油国のソブリン・ウェルス・ファンドと同じです。

 

提携関係とは、お互いのすぐれた部分を出しあって、より良いものを作り出す関係のことだと思いますが、三菱UFJから出せるものは何も無いと言って良いでしょう。

 

「阪神タイガースと文京イーグルスが提携」

*文京イーグルスは、文京区の少年野球チームです*

 

と言われれば、

「提携と言う表現はおかしい」

と誰でも思うはずですが、ヴォータンから見ると同じレベルの話にしか見えません(それほど差があります)。

 

日本の製造業は、まさに世界をリードする新製品を送り出してきていますから、

「シャープとフィリップスが提携、、、」

と言われても、何の違和感もありませんが、日本の金融機関はまったく何も生み出したことがありませんから、提携と言われても????となってしまいます。

 

以前から指摘している通り、日本の金融機関は企業・産業ではなく、都庁や市役所と同じ「制度」でしかありません。

市役所が新製品を開発したなどと言うことはありませんよね?

 

日本の金融機関のやってきたことは、海外の金融機関が開発した金融商品や金融リスクの管理手法をひたすらまねる事だけでした。

その証拠に、社内に金融商品を開発する部署がありません。

 

名前だけ「○○開発部」などと言う部門があることもありますが、昨日まで融資の稟議を書いていた行員が、辞令一つで配属になって、海外の金融機関が出してくるものをひたすら勉強し、自分の会社でも使える様にしているだけです。

 

では、マネジメントはどうでしょうか?

一時期、「日本的経営」がもてはやされたことがありますが、この15年あまりで、その美点をみずからぶち壊しにしてしまいましたから、経営を語ることも不可能です。

もし、今の無茶苦茶な日本式のマネジメントを持ち込んだら、あっという間に社員が雲散霧消してしまうと断言できます。

 

日本式マネジメントに卓越した部分があれば、その様なことは起きませんし、むしろ業績がどんどん上がるでしょうが、日本式はほとんど旧日本軍の軍隊組織の焼き直しですから、

「特徴がある」

とは言えても

「卓越している」

とは、とても言えません。

 

金融機関は人材こそが命ですから、社員が雲散霧消したのではお話になりません。

マネジメントがいかに難しいかと言うことは同じ欧米系と言う意味で、ドイツ銀行やUBS(スイスの金融機関です)が証明しています。

この2つの欧州系の金融機関が、バンカース・トラストやペイン・ウェーバーと言う一流のアメリカの金融機関を買収(提携よりもっと強力ですね)したのですが、やはり社員がポロポロと抜けてしまい、今でも二流の地位にとどまっています。

 

ましてや、経営陣の大多数が自分の言葉で社員とコミュニケーションをとれない日本の金融機関が、筆頭株主だからと「経営」になど口を出したら悲惨な結末を迎えることになります。

 

日本の金融機関がアメリカの金融機関に出資したり、買収したりしたのは、これが初めてではありません。

80年代に、第一勧業銀行はCITグループ、富士銀行はヘラー・フィナンシャルと言う二線級の金融会社を傘下に収めましたし、住友銀行はゴールドマン・サックスに資本参加しました。

 

しかし、何の成果も得られないままに、90年代に経営が悪化したため手放しています。

 

数年後にモルガン・スタンレー株が値上がりし、三菱UFJが儲けを出してくれることを願うばかりです。

 

日本の金融機関に関する評価は色々とこのブログで書いてきていますが、ご参考までに↓

「金融敗戦--日本の金融は復活したのか?」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_d779.html

 

2008年9月21日 (日)

リーマンとベア・スターンズの違い

mixiで、金融業界に見識をお持ちの方から、まったく尤もなご質問を頂戴しました。

++++++++++++++

一つ質問です。ベア・スタンダーズとリーマン・ブラザーズの境目は何だったのでしょうか?どちらも同じ証券会社ですが。

++++++++++++++

 

実は、政策の「裏」と言うのは、政策当局者しか分からない情報と言うのがありますから、本当のところは分からないと言うのが本音です。

これは、竹中平蔵氏の「構造改革の真実」を読んで、よく分かりましたし、アメリカの大物達の回顧録でも感じるところです。

構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌 Book 構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌

著者:竹中 平蔵
販売元:日本経済新聞社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

  

その為、これもヴォータンの単なる推測の域を出ませんが、自分の個人的な経験も含めて以下の通りお答えしましたので、ご参考までのこちらにも掲載させて頂きます。

++++++++

これは、もう一つ別の視点で、金融システムの保護だったと思います。

リーマンに関しては、もともと非常に荒っぽい企業文化で有名でしたから、危ない橋を渡っていると言うイメージを誰もが持っていました。

そこへ、ずい分前から「危ない」と言う話が出ていたので、どの金融機関も取引を縮小出来るだけ縮小していたと思います。

その意味で、ある程度準備が出来ていました。

ベア・スターンズに関しては、やや唐突に悪くなったと言う感があります。

これに関しては、私もやや反省するところがあります。

ベアは、先代のCEOが人格者で有名な人で、業界でも

「お行儀が良く、中堅どころのお上品で堅実な投資銀行」

と言うイメージが定着していて、それがどうしても抜けませんでした。

実は、その後のCEOがそれまでの文化をひっくり返して、まったく違う会社に変身していたんですが、何となく昔のイメージで見てしまっていた為、

「リーマンと同じだ」

と気付くのに遅れてしまったと思います。

そこへ急に中身の悪さが白日の下に晒されてしまったので、そのまま破綻させると業界で返り血を浴びるところが多すぎて、連鎖的な金融システム危機に陥る危険性があると見たと思います。

そこで、JPモルガン・チェースによる吸収(従業員の9割方は消えていますから、私は救済していないと見ています)により、契約(取引)の保護を選んだと思います。

+++++++++++

 

アメリカの政治・政策と言うのは、日本の官僚の様な終身雇用の政策立案・執行集団を持たない為、ある意味「軽い」「一貫性が無い」と見えますが、それだけ「柔軟」であると思います。

これだけ、世界の情勢がめまぐるしく変化する中、「柔軟性の欠如」は致命的な欠陥となると危惧しています。

 

戦前にも平沼内閣が

「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じましたので、、、」

との声明と共に総辞職しましたが、まさに今は同じ状況だと思います。

「複雑怪奇なる、、、」

では、困ってしまうのですが、、、、

 

サブ・プライムローン問題に関する誤解

サブ・プライムローン問題全般を扱った書籍も良いものが出ていますし、ブログでも専門家の方が色々と書いていらっしゃるので、ヴォータンは皆さんが触れていないことだけを書き留めておこうと思います。

 

かつて日本でも不動産と株式バブルが崩壊し、その後の日本経済は

「失われた15年」

と言われる状態に陥ってしまいました。

 

ところが、アメリカに関しては、先程

「米金融危機:本当に心配なのは日本」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-405b.html

で、指摘したとおり、

 

++++++++++++++

昨年の金融不安のぼっ発以来の株価の下落率は、先進国では日本が一番です。

さらに、第2四半期(4月~6月)の実質GDP成長率は、

「危機で、没落で、落日」

のアメリカが前期比年率(プラス)3.3%であるのに対して、無傷?のはずの日本は(マイナス)2.4%です。

日本のGDPデフレーター(要するにインフレ率)は、これまた(マイナス)1.6%ですから、皆さんが実感しているGDPの落ち込みは、2.4+1.6=4.0%と言うとんでもないものになります。

++++++++++++++++++

 

むしろ、無傷のはずの日本より元気が良いと言うのが現実です。

 

もし、日本でサブ・プライムローン問題の様な事が起きていれば、GDP成長率はマイナス2.4%などでは済まなかったと思います。

 

その差を作り出したのは、「ノン・リコース・ローン」だと思います。

 

アメリカの多くの州では、州法によって

「住宅ローンはノン・リコース・ローンとする」

ことが定められています。

 

ノン・リコース・ローンとは、Yahoo不動産の用語集によれば、

++++++++++++++

ローン返済ができなくなったときに、担保になっている資産以外に債権の取り立てが及ばない非遡及型融資のこと。

アメリカで主流のローン。

日本では、融資対象の不動産を担保に取ったうえに追加担保や個人保証を求めるリコースローン(遡及型融資)が一般的。

ノンリコースローンは、担保割れの状態になっていてもほかの資産からの回収ができないために、厳密で精度の高い評価が必要になる。また、一般のローンより金利は高めになる。

++++++++++++++++

 

したがって、住宅ローンを払えなくなった人は、住んでいる家から出て行かないといけないのですが、それでおしまいです。

 

一部の報道で、

「家から追い出されて、借金だけが残った、、、」

と、アメリカの悲惨さを強調していましたが、これは完全な誤りです。

 

家から出て借家に住めば、おしまいですから、そこから借金取りに追い回されることを気にすることなく、仕事に専念することが出来ます。

 

ですから、今回のサブ・プライムローン問題で、金融機関には甚大な影響が出ましたが、個人で破産した人はいないことになります。

 

日本では、そうは行きません。

Yahoo不動産の用語集にあるとおり、家を銀行に渡しても借金の金額はもちろん変わりませんし、銀行がそれを競売に掛けて売り飛ばした後、損が出ていれば。

「いつまでも借家に住みながら、住宅ローンを払い続ける」

と言うことになります。

 

つまり、

「家から追い出されて、借金だけが残った、、、」

は、日本で起きる(実際に起きた)ことであり、アメリカの話ではありません。

その結果が、先進国の中で飛びぬけて高い自殺率につながっているのではないかと考えています。

 

これは、おかしいと思います。

ヴォータンは、こう言う日本の銀行のやり方を

「出来の悪い質屋」

と呼んでいます。

 

これは、

「質草を取って金を貸した質屋が、その返済が滞ったんで質草を売り払ったら、貸した金に足りなかったんで、さらに取り立てに来た」

と言うのと同じことですよね。

 

そんな状態で、前途に夢と希望を持てと言うのは、無理な話です。

 

規制が大嫌いなヴォータンですが、

「いやしくも、政府と言うものが個人から税金を取るのであれば、個人は守られるべき」

だと思っています(だから、今回のアメリカの金融救済策は正しいと思っています)。

 

以前にも指摘したのですが、住宅ローンを大々的に手がけることが出来る銀行業への参入を規制している訳ですから、日本でも

「住宅ローンはノン・リコース・ローンのみとする」

と言う規制を掛けるべきだと思います。

 

ノン・リコース・ローン全体に関する問題意識に関しては、

2006年 6月14日「銀行は何故嫌われるのか!?(補論)」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/__56bf.html

2006年 6月15日「誰に貸すの?やり直しの難しい社会」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/index.html

2006年10月29日「個人保証を禁止せよ!」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/index.html

をご参照下さい。

 

米投資銀行は何を間違ったのか

メディアは、

「人間が犬に噛み付かないとニュースにならない」

ですし、

「人の不幸を書かないと発行部数、視聴率を稼げない」

ですから、今回の金融危機に関しても、世界の終わりの様な報道をして、人々の心理を冷やしてしまっていますが、実は今回の危機に関して、欧米の各国の当局者の対応(日本は関係ありませんから)、特に米国の対応は適切なものだと思います。

 

もちろん、今回の金融危機を旧左翼的な目で見れば

「資本主義の終焉」

なんでしょうが、資本主義の終焉の後に来るはずだった

「社会主義・共産主義の楽園」

が先にコケてしまいましたから、

「資本主義の、、、」

とは言いにくい様で、その代わりに

「弱肉強食の権化:アメリカ金融資本の終焉、、、云々」

と言い換えて溜飲を下げているようです。

 

そんな、低レベルの議論はさておき、中にいるものとして、アメリカの投資銀行が何を間違ったのかと言う視点で、個人的な感想を少しまとめて置きたいと思います。

 

投資銀行とは、教科書的に言うと、

「資本市場(有価証券市場)を主たる活躍の場とし、M&Aなどの財務戦略のアドバイスを行うホールセール(個人との取引を行わない)金融機関である」

と、なると思いますが、過去10年~15年ぐらいの間に、アメリカの投資銀行の中身が大きく変わってしまった(例:モルガン・スタンレーとディーン・ウィッターの合併で、個人取引が入ってきた)ので、本当の定義は難しいところです。

 

まあ、

「知恵と度胸で勝負する金融機関」

とでも考えれば間違いないと思います。

 

さて、その投資銀行の業務と言うのは、かつてはまさに企業の有価証券の発行をアドバイスし手助けし、またM&Aのアドバイスをし、、、、と「アドバイス」でしたから、自らの資本を大きく使うことはありませんでした。

その為、多くの投資銀行はパートナー制(個人の無限責任)をとっており、パートナー達個人の資本の範囲で、十分に業務を遂行できていました。

 

しかし、徐々に銀行と証券の垣根が下がり、巨大な資本を持つ銀行が、有価証券業務に参入し、投資銀行業務を行うようになってくると、過小資本のままでは対抗できないと言うことになりました。

 

そこで、銀行と有価証券や為替と言った市場で対抗できるように、どの投資銀行も株式を公開し、他人の資本を入れることで、資本を増強しました。

 

ただ、ここで資本が潤沢になり、リスクを引き受ける能力が上がったことで、本来持っていた

「知恵と度胸で勝負する」

ことの、負の側面が出てしまったと思います。

 

まず、一般的な市場取引ですが、ヴォータンの本業の為替は、完全なオフバランス取引ですから資本を大きく使うことはありません。

流動性も高いですから、換金性も問題無しです。

 

次に、債券(有価証券)ですが、債券の発行のアドバイスではなく、トレーディングとなると現物を伴いますから、こちらは資本を使うことになります。また、もともと顧客のニーズに応える為、ある程度の在庫も持ちますから資本は必要です。

ただ、その場合でも基本的に流動性の高い債券(多少低いものでも、まったく換金できないと言うものは、まずありません)ですから、それほどリスクは高くありません。

 

それでも、トレーディング部門に問題点が無い訳ではありません。

トレーダーには、大きく稼ごうとして、大きなポジション(リスクをとることだと考えてください)を持つと言うインセンティブが働きます。

これをきちんと管理しないと、かつての富士銀行NYの為替の大損失事件や、大和銀行NYの米国債での大損失事件、ベアリング事件と言ったものを引き起こしてしまいます。

ただ、アメリカの投資銀行は、管理手法を高度化し、このリスクを精緻にコントロールしていますので、会社の屋台骨が揺らぐようなことはありません。

 

従業員の不正(前に挙げた3例はいずれも社員の不正です)を早期に発見するシステムを持たない、お粗末な金融機関であれば、「大損」の可能性はありますが、、、

 

問題は、資本を大きく使う取引が増えたことです。

 

今回のサブ・プライムローン問題でも、「仲介」(ブローキング)や「アドバイス」、「トレーディング」に徹していれば、自分で不良な債券を持つことはありませんから、投資銀行自体は無傷だったはずです。

しかし、非常に複雑な証券を組成するに当たって、一度自分で抱え込む必要がある為、結果的に破綻に瀕するほどの損失を出してしまいました。

 

昔話をすると笑われますが、ヴォータンの若い頃には、不動産部門などもありませんでした。

 

不動産部門が出来ると聞いた時、不動産仲介業にでも進出するのかと思っていたのですが、実は仲介と言うより、自己資本で不動産を買ってそれに付加価値をつけて売りさばくという不動産デベロッパーでした。

一度買い込む訳ですから、当然非常に大きなリスクを負います。しかも、トレーディング部門の様な精緻なリスク評価システムが作れない世界ですから、とても危険なものです。

 

つまり、ヴォータンの感覚からすると、ひとつ誤ると自社の資本ではまかないきれない程の、リスクを抱える部門がいくつも出てきたと言う感じを受けています。

しかも、リスクを精緻にコントロールしづらいものばかりですから、いつでも「ひとつ誤る」可能性があります。

 

何故、こんなにまでリスクを取る様になってしまったのでしょうか?

 

そこには、株式を公開して、パートナー制(無限責任)を放棄したことが、大きく影響していると思います。

 

パートナー制の時には、パートナー達はそれこそ無限責任ですから、社員が過大なリスクを取ることには慎重でしたし、もちろん彼らも会社に来て毎日業務をチェックしていました。

ところが株式が公開されると、株主は年一回の有価証券報告書(まあ、四半期ごとの業績も出ますが)を見るだけで、もちろん会社に出かけてきてリスクをチェックしたりはしません。

 

そうなると、リスクを取る側には、大きな歯止めがなくなってしまいます。

 

悪く言えば、

「無くしても他人のカネ」

ですね。

 

しかも、単年度の成績次第で、多大なボーナスをもらえると言うインセンティブがありますから、他人のカネをタネ銭に思いっきりギャンブルをすることになります。

 

ある年、大儲けしてどっさりボーナスをもらい、翌年大損しても、前の年のボーナスを返せとは言われませんから、これは危ない世界です。

今回、リーマンが実質的に倒産しましたが、去年の巨額のボーナスを返す必要はありませんから、被害を被ったのは株主(と、リスク管理に失敗した取引先)だけと言うことになります。

 

ヴォータンは、規制には基本的に反対なので、今回の金融危機を契機に、証券化業務を禁止しろと言うつもりはありません。

稿を改めたいと思いますが、証券化自体は、世界の人々に非常に大きな恩恵をもたらしているからです。

 

ただ、投資銀行の株主になろうとする人には、

「投資銀行がこの様な過大なリスクを取りがちな性質を持っている」

と言う事を、十分に認識して頂いてから株式をお買い頂きたいと思います。

 

これは、単なる個人的な感想でしかありませんが、外資系に四半世紀以上いるのですが、15年ぐらい前から、社内に

「品の無い人間が増えた」

とも思っています。

 

米金融危機:本当に心配なのは日本

ずい分とご無沙汰していまいましたm(__)m

あんまり、ブログの更新が無いんで

「外資系のヴォータンも、、、ついに、、、┌|;|┐ガーン!!

と、ご心配をお掛けしてしまったんですが、確かに本業の方も忙しかったんですが、実は家探しで忙しくて、、、(=^^=)

 

去年の春から、ずっと家を買おうと探してきているんですが、ここに来てものすごい勢いで値段が下がってきています。

 

先日、公示地価が発表されていましたが、あれは昨今の実態をまったく反映していません。

地価も完全に下がっていますが、中古マンションは、暴落に近い状態です。

 

仲介業者によれば、特にヴォータンが探しているゾーンのマンションは、

「買い手がいない」

そうなので、物件が出るとどの業者もすぐに持ってきてくれます。

それで、週末は物件の内覧の為に、走り回っているんで、忙しくて、、、ε=ε=ε=ε=(; ̄)

 

都内の主だったマンション(タワーは嫌いなのでパス)は、ほとんど見てしまったんで、不動産仲介業者の皆さんより詳しくなってしまいました(*^-)vィェィ

---彼らは、買い手のお客さんが来ないと、そう物件を見て回れないんで、意外と実物は見ていないんですよ

 

さて、本題のアメリカの金融危機ですが、リーマンは連邦破産法11条(いわゆるチャプター・イレブン)を申請、ファニー・メイ、フレディ・マック、AIGは実質国有化、メリル・リンチはBOA(韓国の歌手じゃないですよ!Bank of America)が買収とめまぐるしく動いています。

 

矢継ぎ早に出された政策に関しては、色々と批判がありますが、

「大きな政府Vs.小さな政府」

と言う立場からのもの以外は、ほとんど誤解に基づくものばかりですね。

 

一つだけ挙げると

「リーマンは破産させたのに、AIGは救済すると言う、一貫性の無さ、迷走する政策対応、、」

と言うものがありますが、勘違いとしか言い様がありません。

 

実は、

「個人を保護する」

と言う一点で、一貫性は見事に貫かれています。

 

AIGに関しては、業務が多岐に渡っているので、本当は各分野ですごく細かい議論をしないといけないのですが、ものすごく長くなってしまうので、、、、ちょっと雑になりますが、一番分かりやすい部分だけを取り出すと、要するに

「個人の保険」

の会社です。

AIGは保険金を受け取って、それを運用し、まさかの時に支払う保険会社です。その運用していた資産が痛んでしまったので、このままでは

「個人の保険の支払いに支障がでる」

ことになります。そこで、

「個人を救う」

為に、国が乗り出したと言う訳です。

 

リーマン・ブラザーズは証券会社です。

取引をしている人は、確かに大勢いるのですが、リーマンが預かっている取引先のお金は、リーマンの資産とは別に管理されています。

つまり、リーマンが悪事を働いて顧客から預かった資産に手をつけていない限り(まず、その可能性はゼロです)、お金は戻ってきます。

 

日本の場合は、生命保険会社の破綻の際には、一切の公的支援を行いませんでした。その為、破綻した生保との契約があった個人は、何十年も掛けてきた保険が大幅に減額になると言う形で被害を被りました。

ところが、山一證券には「日銀特融」と言う形で公的資金を注ぎ込み、最終的にこれが焦げ付いてしまいました(1500億円が国民負担になりました)。

つまり、行動に論理性が無く、一貫していなかった(と、言うより、政策を間違った)のは日本の方なのです。

 

おまけですが、銀行は個人の預金を預かっていますから、破綻すると預金の一部が戻ってこずに個人が痛む可能性があります。

「個人を救う」と言うヴォータンの推論が正しいとするならば、今話題になっているワシントン・ミューチュアルと言う銀行も最終的に救済されるはずです(もしかしたら、預金保険機構を使うことになるかもしれませんが)。

もっとも、経営者は放逐されて、もし不正行為があった場合には、塀の向うに行くことになりますが、、、

 

昨年の夏以来の一連の処置を見ていて、感じるのは

「対応の早さ」

です。

 

バーナンキと言う一流の経済学者が中央銀行の長と言うポジションに、ポールソンと言うこれも一流の金融(金融市場)の実務家が財務長官に、とそれぞれ素晴らしい人材がいたことは幸いだったと思います。

過去20年の日本の中央銀行総裁と大蔵・財務大臣の経歴とは、歴然たる差があります。人物としては素晴らしい方もいらっしゃったのでしょうが、みなさん金融の素人としか言いようの無い方ばかりです。

もっとも、日本の金融機関のトップには、金融市場のプロはいらっしゃいませんが、、、 

 

メディアでは、

「アメリカの没落」

と言ったテーマで、快哉を叫んでいる人もいますが、むしろ心配なのは日本です。

 

昨年の金融不安のぼっ発以来の株価の下落率は、先進国では日本が一番です。

さらに、第2四半期(4月~6月)の実質GDP成長率は、

「危機で、没落で、落日」

のアメリカが前期比年率(プラス)3.3%であるのに対して、無傷?のはずの日本は(マイナス)2.4%です。

日本のGDPデフレーター(要するにインフレ率)は、これまた(マイナス)1.6%ですから、皆さんが実感しているGDPの落ち込みは、2.4+1.6=4.0%と言うとんでもないものになります。

 

「アメリカの金融が痛んでしまった」

と言う報道は、一面では正しいですが、マクロ的には正しくありません。

 

こんな大騒動が起きている中でも、全米の銀行の貸し出し残高は伸びています。

バブル崩壊後に邦銀がやったような実質破綻先の利払いの為に「追い貸し」をするなどと言うことは出来ませんから、これは本当の伸びです。

 

むしろ、去年から日本の銀行の貸し出し残高は縮小傾向にあります。

邦銀は、今回のサブプライムローン問題で多少の損失は出しましたが、そもそも競技に参加できていなかったので、大きな痛手は受けていません。

つまり、資本が大幅に毀損して貸し出しが出来ないなどということは無いはずです。

 

日本では社債やCP(コマーシャル・ペーパー)の市場が、まともに機能していませんから、

「銀行に貸し出しを制限するインセンティブも障害もないのに、銀行貸し出しが減少している」

と言うことは、日本の企業の資金需要の落ち込みを示しています。

 

「海外の景気が悪く、輸出が伸びないから、、」

などと、説明をする方がいらっしゃいますが、これもおかしな話です。

日本は輸出依存度が高く、、、などと、勘違いをしている人がいますが、日本の輸出依存度は、財に限って見ると15%程度(これでも最近上がってきた方です)で、先進国の中で必ずしも高くありません。

お隣の韓国や中国は40%前後ですから、韓国や中国の高官が

「世界の景気の減速で輸出が減少し、我が国の経済に悪影響を与えることを懸念する」

のは、分かるのですが、日本の高官が同じ事を言うのは????です。

 

あれ?(_o)?  (o_)?与謝野さん、

「米国はじめ各国の予想はそう長い時間をかけずに、経済は戻ってくると予想されている。それと平行して日本経済も戻ってくると確信している」

なんておっしゃっていますが、何か勘違いしていませんか?

 

サマーズ元米財務長官(元ハーバード大学長)は、

「世界第二の経済大国の日本が、早くデフレから脱却し、順調な経済成長に乗って世界経済の牽引車となることが、日本ができる最高の世界貢献だ」

と言っていますが、、、、

2008年7月 9日 (水)

タスポ(taspo):何故自販機だけ?

タスポ(taspo)に関しては、愛煙家、嫌煙家を問わず色々な議論が出ています。

個人の自由を縛る国家の横暴と言う議論がありますが、ここは一つタバコの社会的費用と自由と放縦の違いという観点から考えてみたいと思います。

 

まず、タバコが自動車の排気ガス、工場からの煤煙と同じく、経済学で言う「公共財」である空気を汚染し、その浄化の為に不特定多数の人にコストを転化していると言う点をまず押さえておきたいと思います。

 

また、社会を構成する人間が病気になると、それだけで社会的費用を発生させることになりますが、タバコは喫煙者の健康を害することが明白であることからして、社会的費用の重要な発生源でもあります。

 

さらに上記2点を併せて考えると、伏流煙等で非喫煙者の健康を害することも、医学的に証明されており、タバコはさらに社会的費用を発生させています。

 

「そんなことを言ったら、すべてのものがそうだろう」

 

と言う議論が出そうですが、あくまで「程度の問題」であり、タバコの社会的費用は高いと言う点について異論はないと思います。

 

さて、上記の社会的な費用を発生させる行為を「嗜好の自由」として、成人に対してはある程度認めるものの、その害(社会的費用)を勘案し、未成年者の喫煙を禁止する法律が成立しており、未成年者はその自由の対象外とすることが、法治国家として決められていることになります。

 

つまり、未成年者の喫煙を禁止することは、法律的にも、また社会通念的にも社会的な費用という面からも正しい行為ですので、その徹底を図ることは必要だということです。

 

その意味で、タバコの販売に関して「成人認識」をすることは、必要な行為です。

 

と、言うことは、非対面販売で成人認識が出来ない自動販売機で、タバコを販売していたこと自体が異常であったと言わざるを得ません。

 

今回のタスポの導入は、それを正常化しただけですが、ただ気になることがあります。

 

何故、自動販売機だけなのでしょうか?

 

コンビ二はタバコ特需で笑いが止まらないそうですが、そもそもコンビニでも成人認証を義務付けるべきだと思います。

あくまで目的は、未成年者の喫煙を禁止することですから、自動販売機だけと言うのではおかしなことになります。

 

では、酒はどうだ?と言う議論がまた出そうですが、何でもかんでもがんじがらめに規制する必要はありませんから、その社会的費用の高さを勘案し、タバコだけを厳密に規制することに、社会通念からして問題は無いと思います。

 

ただ、認証できるのがタスポだけと言うのは、おかしな話ですね。一部の自販機でOKとなっている運転免許証でも十分でしょう。

 

最後に、タスポの導入で、まさか厚生労働省や経済産業省の天下り先ができていないでしょうね?

こう言う、規制を認める時には、裏も読む必要があると思います。

2008年7月 3日 (木)

「お金は銀行に預けるな」は見事なコピペ本でした

驚きました。

著者の他の著書は、いわゆるハウツーものの域を出ない、まったく知的刺激の無いものだったのですが、これは書名からいっても一番まっとうなものだろうと思って読みました。

お金は銀行に預けるな   金融リテラシーの基本と実践 (光文社新書) Book お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践 (光文社新書)

著者:勝間 和代
販売元:光文社
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改めて、、、驚きました(しつこいですが)。

 

これだけ既視感の強い本を読むのは久しぶりです。

 

大学教授をやっている友人から、

 

「最近の学生は論文の提出を課題にすると、インターネットで検索して来た他人の論文をコピー・ペーストしてつなぎ合わせて出して来るんだよ」

 

と言う愚痴を聞かされていたのですが、この本はまさに巷に出回っている色々なマネー本をコピー・ペーストしたものでしかありません。

 

金融の初歩の情報/知識としての内容は、経済週刊誌(東洋経済、ダイヤモンド、エコノミストなど)のマネー特集や、インターネット上で公開されているブログ(不肖私のものも含む)の域を出るものではありません。

 

一部、著者の個人的な見解が表明されている部分に関しては、疑問符をつけたいものが多々あります。

 

例えば、投信を薦めるくだりで、

 

「販売手数料、口座維持手数料は四季報を買うと思えば安いもの、、、」

 

と言う変な比喩を使っていますが、手数料「率」の話を四季報の「値段」と言う絶対金額に置き換えるのは論点のすり替えです。

30万円の投資をする人には、その1%なら3000円ですから四季報の値段云々と比較することもあるでしょうが、100万円の投資となると1万円ですからそんな高価な四季報があるでしょうか?

 

細かく突っ込むといくらでも変なところがありますが、それはアマゾンの書評でもかなり皆さんが書いていらっしゃるので、ここでは割愛させて頂きます。

 

それよりも、この方を金融のプロと称することに私は疑問を感じます。

 

経歴として、マッキンゼーとアンダーセン、JPモルガンを挙げていらっしゃいますが、マッキンゼーはコンサルティング・ファームですから金融のプロのキャリアと称するのは如何なものでしょうか?

 

アンダーセンは、あのエンロン事件で粉飾や証拠隠滅に関与していたことが発覚した会計事務所で2002年に解散に追い込まれていますね。

まあ、事件はご本人とは無関係ですからどうでもいいのですが、会計事務所の方が「金融のプロ」を自称されるのも、フロントの立場からすると大いに疑問を感じます。

 

また、JPモルガンで何をやっていらっしゃったのか不明ですが、少なくともフロントで活躍されたと言うことは聞いたことがありません。

 

つまり、私の目からは、この方は途中のキャリアチェンジが多く、学生時代の勉強で公認会計士試験には合格された会計士さんではあっても、残念ながら外資系で生き抜いた真の金融のプロにはなっていらっしゃらないと見えます。

 

外資系金融の世界に彼女よりはるかに長く巣くっているものとしては、このように世間の皆さんを幻惑させるような「外資系でのキャリア」を表に出す売り方には疑問を感じざるを得ません。

 

蛇足ですが、ウォール・ストリート・ジャーナルの「2005年に注目したい50人の女性」に選ばれたことも売りにしていらっしゃいますが、まったくSo What?(それがどうしたの?)ですね。

 

本当の意味での知的刺激を与えることの無い、ハウツー物を大量に出版しているだけ(に、私には見えますが)の方が、何を基準に選ばれたかと言うことに疑問を感じますし、そもそもその様なものがあることすら知りませんでした。

 

ちなみに、こう言うランキング物に関しては、大学(MBA)時代の知り合いを入れるとか元の同僚のつながりとか何とか、色々と裏があるのは洋の東西を問わず同じです。

 

書名に「リテラシー」と言う日本人にとって一般的ではない英語が入っているので、知的刺激があるかに見えますが、学部の学生がちょっとインターネットを使えば書ける程度の本でしかありませんでした。

嗚呼 deplorable(嘆かわしい)!

2008年6月20日 (金)

満員電車がなくなる日

東京に住み着いて32年。

ヴォータンはあの有名な東京の満員電車に乗ったことがありません。

 

最初の4年間は学生ですから、当然時差出勤と似た様なものでしたし、就職してからはディーラーになるまでの普通の銀行員時代の2年間(テラーもやってたんですよ。誰も信じてくれませんが)も、少なくとも1時間は皆様より早く出社していました。

ディーラーになってからはさらに1時間以上(つまり2時間以上)早く出社していましたから、満員になりようがありません。

 

それでも、非常に多くの人があの非人間的な満員電車に毎日乗っている姿を見ると、何とか改善出来ないものかと考えていました。

 

満員電車がなくなる日―鉄道イノベーションが日本を救う (角川SSC新書 29) Book 満員電車がなくなる日―鉄道イノベーションが日本を救う (角川SSC新書 29)

著者:阿部 等
販売元:角川・エス・エス・コミュニケーションズ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この著者は長年JR東日本に勤めていた方ですが、交通工学とでも言うものをきちんと研究していらっしゃいます。

 

前半の鉄道の歴史はややつまらないかもしれませんが、第2章以降の運行の技術的な改良の話などは非常に興味深いものがあります。

 

電車を総2階建てにするだけではなく、ホームも2階建てにするところなど、変に納得してしまいます。

 

ここでの提案がすべて可能になる訳では無いと思いますが、少なくともこの様な方達の努力で、鉄道輸送が快適なものになっていくだろうと思える良書だと思います。

 

ちなみにヴォータンは、究極の満員電車回避策として徒歩で会社に通える場所に引っ越すことを画策しています(*^-)v

ただ、お金の問題が、、、、、ò)

2008年6月 2日 (月)

サマータイム再論(誰の為?)

2007年6月ですから、丁度一年前に経団連がサマータイム云々と言う記事を見つけて反対論を書きました。

それから一年、今度はサマータイム導入議員連合とやらが、蠢いている事がTVで報道されていました。

詳しくは、以前書いたブログをお読み頂きたいのですが、こんな百害あって一利なしのものを政治家や経団連が導入したがると言うのを聞くと、経済学徒としては

「それで、誰が儲けるの?」

と考えたくもなります。

 

TVでは

「韓国にも同時実施を呼びかけ、、」

とアナウンサーが言っていましたが、ブログに書いた通り、韓国は87年、88年にやってその後はやっていません。

ついでに、中国も90年頃にやっていたのですが、その後は止めています。

そんな国に、話を持ちかけるとは、、、、

 

しつこいようですが、誰かが儲かるんでしょうね、、、、

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_5a09.html

経団連の迷走(サマータイム)

「経団連が8月にサマータイムを試験的に導入する」と言う記事を見つけました。

感想を一言で言えば、

「勝手にやれば?」

です。

単に一組織の就業時間を一時間早くするだけですから、サマータイムと大騒ぎする必要などどこにもありません。

 

しかし、裏の意図を考えるとのんきに「勝手にすれば」と無視してよい話ではありません。

 

+++++Yomiuri on lineより++++++++++

日本経団連(御手洗冨士夫会長)は28日、8月の1か月間だけ、就業時間を1時間繰り上げ、実質的なサマータイムを試験導入する方針を明らかにした。

 経団連はサマータイム導入を政府に提言しており、まず自らが率先し実行することにした。対象は事務局職員約220人で、現在の午前9時30分~午後5時の就業時間を午前8時30分~午後4時に繰り上げる予定だ。

 御手洗会長は28日、山本金融相(再チャレンジ担当)との懇談で、「政府が先にやってもらわないと」と述べた。

 サマータイム導入は、政府の「経済財政改革の基本方針2007(骨太の方針)」にも早期実施の検討が盛り込まれている。

+++++++++++引用終わり++++++++++

 

ホワイトカラーエグゼンプションの導入を陰で推進していたのも経団連でしたが、今回は表に出ようということでしょうか?

 

12月26日「ホワイトカラー・エグゼンプション--勘違いしていませんか?」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_365e.html

と、1月15日「ホワイトカラー・エグゼンプション(補足)」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_cc30.html

の中で批判した通り、

「海外でやっているから」

と言って日本に持ち込むと言う発想自体が悲しいものです。

 

いや、悲しんでなどいられません。海外でやっていると言うことを理由に、経営者が労働強化を図ろうとしている裏の意図がはっきり見えますから、これは声を大にして反対すべきです。

 

そもそも日本の様な中緯度の国で、1時間のサマータイムを導入する意義はほとんどありません。

 

サマータイムを導入している国は、例外なく高緯度(北極・南極に近い)国です。

 

高緯度の国では、冬の間は「昼間の時間」が非常に短く、朝9時すぎに太陽が顔を出したと思ったら、地平線近くをうろうろして3時頃には沈んでしまいます。

あの暗い時間は、ほんとうに陰鬱で、その為に精神に異常を来たすと言われているほどです。

 

ですから、その反動で夏になって今度はものすごく「昼間の時間」が長くなったところで、思いっきり太陽を満喫したいと言うのが、サマータイム導入の意図です。 

 

つまり、冬でも7時には明るくなって夕方も5時ぐらいまでは太陽を拝める日本で、こんなものを導入する意味はまったくありません。

 

むしろ、サービス残業が常態化していることを考えると、労働強化につながるだけだと考えるのが素直でしょうし、現実的だと思います。

 

しかも、余計なコストが掛かります。

ヴォータンは、職業柄時差のある人達と付き合わざるを得なかったのですが、年に2回の夏時間と冬時間の切り替えの時には非常に気をつかいました。

間違わない様に、ディーリングルームの中の各国の時計を直すのですが、国によって切り替える日が違います。

例えばロンドンとNYが同時に夏と冬を切り替える訳ではありませんでしたから、結構やっかいでした。

 

これを日本国全体でやる訳ですね。

切り替えの際の混乱(各家庭や職場にある時計を全部調整する必要があります)は、簡単に想像がつきます。

また、コンピュータのプログラムの書き換えも必要になりますから、大変なコストが掛かります。

 

高緯度の陰鬱な冬を我慢した人々は、このコストを払ってでも夏を満喫したいと言う統一された意思を持ってこの制度を取り入れているのですが、導入論を唱えている人々は、日本国民をそこまで説得できるのでしょうか?

 

ホワイトカラー・エグゼンプション導入時にも同じ批判をしたのですが、制度にはそのバックグラウンドがあります。

それをきちんと理解せずに導入するととんでもないことになります。

 

いや、ここはむしろ悪意にとるべきでしょう。

経団連の優秀な人々や偉大なキヤノンの会長が、この程度のことを知らないはずがありません。

 

「海外でやっているから」サマータイム導入と、目くらましを掛けて労働強化を図っていると考えるべきです。

 

それにしても、経団連の存在意義と言うものは一体なんでしょう?

この日本独自の組織は、

「カルテルの温床」「公正な競争の阻害者」

とみるべきではないでしょうか?

 

お時間のある時に、地球儀か世界地図で日本の位置とサマータイムを導入している国の位置を確認してみると面白いですよ。

ヨーロッパや北米の主要都市は日本の北海道よりずっと北にあることがお分かり頂けると思います。

 

ちなみに、台湾は1979年、香港も1979年に1940年代から長年続けていたサマータイムを止めています。

韓国は87年と88年にやったのですが、コスト(混乱)に耐え切れず以後やっていませんし、中国も86年から92年までやって止めています。

 

理由ははっきりしていますよね?

みんな中緯度から低緯度の国です。

 

こんなものを何で日本が今更やらねばならないのでしょう??

 

外資に20年もいたヴォータンが言うのも変ですが、今の経団連は西洋かぶれした変な集団にしか見えません。

いや、もっと悪いですね。

西洋をダシにして労働者に無理を強いる「悪意ある集団」にしか見えません。

2008年5月 6日 (火)

負の成果主義の悲惨な結末(再論)

2006年の年末に、

「成果主義の10年(負の成果主義の悲惨な結末)」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/10_aafa.html

を書かせて頂きました。あれから1年半。先日、学生時代の友人が集まった際に、どうしたら社員のモチベーションを上げることが出来るかと言う議論になりました。

「社員」と書いてしまいましたが、ヴォータンの同期はそろそろ役員であったり、社長であったり、役人であっても次官から数えて上から何番目と言う地位にいますので、経営側の人間ですから、どうしても「社員を、、、」と言う話になりますが、彼らの責任ある立場からの発言と言う事でご勘弁下さい。

 

結論は、マズローの欲求段階説的に言えば、会社として出来る事は第4段階である「認知の欲求」を満たすことではないかと言う辺りに落ち着きました。

(ご興味のある方は、Googleでマズローを、、、、)

「認知の欲求」を満たしてやるには、会社として(もしくは上司として)社員を正しく評価してやらないといけないのですが、ここで皆悩んでしまいます。

 

実は、皆一様に優秀なのですが、ごく少数の例外を除けば、本当の意味で「人事」を取り扱ったことがありません。

自分の裁量で人を採用したことも無ければ、ましてやごく一部の人間を除くと、人を切ったことも無いのです。

 

このブログでも何度も指摘した通り、日本の会社の大半は人事部が人事権を持ち、採用、解雇、出向その他を管理し、各部門長は与えられた人材を使って全力を尽くす制度となっています。

その為、いかに優秀な彼等でも、実際に採用(面接して評点をつけるだけでなく、自分がある個人の採用を最終的に決める)したり、解雇(これも、○○人を人員整理すると言うのではなく、自分がある個人の解雇を決定する)する、つまり概念としての社員ではなく、自分の目の前にいる生身のスタッフを採用したり切ったりした経験がありません。

その為、本当の意味で「評価の修羅場」をくぐった経験が無い訳ですから、「正しい評価が大事だよな」と言う結論になっても、そこでまた悩んでしまう訳です。

 

経営者としては、悩んで立ち止まっていてはどうしようもありませんから、人事部長なり人事担当役員に「正しい評価」が出来る様指示します。

指示を受けた人事は、これまた制度として人を採用したり切ったりしたことはあっても、最前線で職務についた形で、評価をしたことが無いので、同じく悩んでしまいます。

 

おそらくその結果なのでしょうが、コンサルティング・ファームに依頼するケースが多い様です(人事としては、責任回避と言う点でも楽ですから)。

 

さて、その結果が良ければ、そもそも同窓会で議論になったりはしません。つまり、コンサルティング・ファームに入れ知恵されて人事が作った制度が、一向にうまく働かないことに優秀な彼等はすぐに気づいたので、余計に悩んでしまっています。

 

そこで、弾はこっちに向かって飛んでくることになります。

「うちは外資系のコンサルも使ってきちんとした評価制度を作ったんだけど、直接社員と話をしたら、誰も全然喜んで無いんだよな。社員の『認知の欲求』を満たす為に良かれと思って作ったのに、社員が喜んでないんじゃ話にならないよ。おい、ヴォータン。お前は外資で20年以上やってるから詳しいだろ。」

ヴォ「それで、どんな制度にしたんだよ?」

「まあ、一口では言えないんだけど、年度初めに上司と部下が目標を設定して、それを半期末と年度末にチェックして、達成度を数値化して極力客観的な尺度で公平な評価が行われる様に、、(以下、省略)」

ヴォ「あのさーー、そのコンサルって外資系?だったら、そのコンサルで実際に使ってる評価方法とやらをそのまま教えてもらったらどうだい?」

ヴォ「俺の知ってる限り、そんな精緻なと言うか、ほとんどデジタルの様な評価制度を取っている会社なんて無いはずだよ」

「???」

ヴォ「だから、最初っから『客観的』評価なんてやってないよ。うちの会社もそうだけど」

「おいおい、それじゃ悪評ふんぷんの独断と偏見ってやつか?」

ヴォ「10年以上前かな。アメリカで『客観的』評価とやらがはやって、うちの会社でも人事から『全社的に○○と言う制度を導入したから、部下の資質・成果に関して数十項目に渡って1から5の評点をつけろ』なんて指示が来たよ」

「あ、それ今うちでやってるよ」

ヴォ「で、一応つけたんだけど、今まで気にしていなかった評価項目に気付くぐらいの効果しかないし、小学生の通信簿じゃあるまいし、1から5なんて簡単に付けられないから、やめちゃったよ」

「え?やめたのか?全社的に制度を導入したんだろ?そんなに簡単に、始めたりやめたりしたら現場は大混乱しただろ?」

ヴォ「うんにゃ。だって、もともと人事権は俺が持ってて、責任も持たされてるんだから、人事関係の仕事をしてくれる連中が入れた制度なんてのは、あくまで俺が最終責任をとる為の手段だよ。だから、役に立つと思えば使うし、そうじゃ無ければ無視だな」

ヴォ「だから、評価表は作ったけど『へーーー、こんなことも出来るんだ』でオシマイ。ボーナスの金額やら、昇進とはダイレクトには結び付けなかったよ」

「何かえらく主観的だな。そんなので社員が納得するのか?公平じゃないし、透明感もないし、無責任にも聞こえるけど」

ヴォ「いや、逆だよ。お前らが採用している、デジタルな評価制度の方が、評価する人間が無責任になって『制度のせいにする』危険性を孕んでるよ。特に、日本の会社は現場が人事権を持ってないから」

ヴォ(以下、「負の成果主義、、」に引用したヴォータンの昔の小論を説明)

 

ヴォ「だから、お前ら真面目過ぎると言うか、タテマエで走りすぎだよ。『真に公平な評価』なんて出来る訳ないじゃん。それって、昭和の日本軍の精神構造とそっくりだよ」

ヴォ「『一発必中の砲は百発一中の砲に勝る』ってのは、秋山真之の名言だけど、あれはよく訓練をして連度を上げることが実戦でいかに大切かを教えた警句だったのに、昭和の日本軍は現実を見ないで、日本には一発必中の砲があたかも存在するかの様な神がかり的タテマエを前提にした作戦(タテマエ作戦)をとっただろ。ん?ちょっと脱線したか?」

「でもさあ、お前が一人で主観的に評価したら危なくないか?」

ヴォ「うん、危ない。ただね、俺自身は部門の責任者として『成果』と言う客観的なもので、まず評価されるし、俺自身に対するアナログな評価は直接の上司やら世界中にいる同僚やらから来るんだよ」

ヴォ「だから、情実評価やらアホな評価をして部下のモチベーションを落としたら、まず自分の『成果』が落ちるからアウト!且つ、自分に対する上やまわりの評価も悪くなるよな」

「でも、コバンザメとか茶坊主は居るんだろ?」

ヴォ「うん、一杯居るよ。ただ、お互いプライベートな部分には立ち入らないから、上司の引越しの手伝いに行ったなんてのは聞かないけど」

「部下から上司に対する評価ってのはどうだ?」

ヴォ「あ、あれね。民主的に見えるって言うんで一時はやったけど、うちはやめた。お世辞かケチか愚痴だから」

「何かお前の話を聞いてると、俺達はお前らがやってみて、失敗してさっさとやめたことを、真剣にやり続けてる様に思えるな」

ヴォ「うーーーん。『客観性がある』とか『公平だ』言われると反論しにくいよな。日本の会社の人は真面目だから、そのタテマエ論に自分達を無理に合わせようとして無理してるように見える。陸軍ではサイズの合わない靴を支給されたら、『お前の足を靴に合わせろ』って命令したらしいけど、、、それに似てる」

「そうだよな。人間なんてもともとアナログなんだよ。そのアナログな人間の集まりである会社でデジタルな評価に持っていこうって、努力すると変なことになるな」

ヴォ「うん。それとね。タテマエと本音ってあるんだよ。俺も外資の良いことばかり言ってるように聞こえるけどさ、人種差別が無いと言われているアメリカの会社でも、自分のいた部門(世界中)でアフリカ系の社員は2人しか会ったことが無い。20年以上でだぜ」

「まあ、当社の海外支店は上から下まで管理職は全員日本人で固めてるから、何も言えないけどな。これは民族差別か」

ヴォ「欧州系はもっとひどいらしいな。まあ、他社のことだから余計なことは言いたく無いけど」

「おっと、蒸し返して悪いんだけどさ。お前のそのアナログ評価で一番難しいところはどこだ?さっき話してた志願兵云々を前提にしていいからさ」

ヴォ「すぐに成果に結びつかない仕事とか努力の評価かな?本音を言うと、俺に対しては部門の短期的な成果が求められる訳だから『成果』は絶対欲しい。だから、簡単なのは成果を出した連中の評価を最高にすること」

ヴォ「でもね。それを続けてると組織がギスギスしてきてだんだん成績が落ちるんだよ。で、成果が直接的でなくても、『あいつが陰でああ言う仕事をしてくれたからこの成果が出た』と言う程度なら、そいつの評価を高くしてもあんまり不満は出ないから、これも比較的簡単」

「うちは、その辺も含めて客観的評価に入れてると思うな」

ヴォ「でも、『どういう形で成果に結びつくのかはよく分からないけど、長い目で見るとあいつの仕事や潜在的な能力は組織に多大な貢献をしそうだから、うちにいて欲しいので高い評価を出している』なんて話になると、俺の上司に対する説明も難しいし部門内でも、、、」

「そこだな。それも評価項目に入ってるんだけど、評価するの方の責任逃れと言うか、評価する方にそこまでの胆力が無いから、どうもあやふやになってると思う」

「評価表見たいなものに書かずに、昔みたいに、何となく長年一緒に働いている内に、アイツは俺より出来るって自然に納得させる方が良いのかもしれないな」

ヴォ「うん。日本の会社の制度は日本人のメンタリティの合ったものが一番だから、『不透明』と言われようと、実は『透明な人事制度なんて世界中どこにもない』って開き直った方が良いと思う。ましてや、ドライと言われている我々が、『こんなデジタルなことやれる訳が無い』って、放り投げた制度を日本の会社が採用するなんてとんでもないことだと思うよ」

「俺、今回の件もあってコンサルに批判的なんだけどな。あいつら、究極の素人じゃないか?プレゼンはうまいし面白そうなアイデアも持ってくるんだけど、どうも実戦配備するとうまくいかないってやつ」

ヴォ「一度使いかけて途中で喧嘩して切っちゃった方だから、俺の話は割り引いて聞いて欲しいんだけど、コンサルって『素振りのきれいな剣士』だと思う。生身の相手との闘いになると『打たれる(切られる)』と言う恐怖心が出てくるから、ほとんどの人はきれいな素振りなんて出来なくなるよ。しかも駆け引きが入る訳だし、、、ビジネス・スクールは効率的にいろんなことを教えてくれるけど、『つばぜり合いになった時、相手の足を踏んづける作戦も効果あり』なんてことは教えないよ」

「でも、俺達のいる世界は、実は作戦通り行かなくて、小さな失敗の連続の中でいかに大負けしないかって闘ってる様に思うな。経営書とかコンサルのプロポーザルって、その辺の一番大事なところが抜けてると思う」

「だから、俺が昔から言ってる様に、古典を読んで哲学的な思索を深めることの方が、大事なんだよ」

と言う事で、最後は何やらコンサル批判になって変に盛り上がってしまったのですが、今の日本の会社員のモチベーションの低さの一つに、変な成果主義と評価制度の導入と言う大きなミスが貢献している様に思えてなりません。

 

今、気付いたんですが、下の sponcered link に、人事評価ソフト「公平クン」と言う宣伝が出ていました。

AIがヴォータンのブログの中の「言葉」から関連付けて拾ってきたんでしょうが、中身を読んでいないと言うか何と言うか、、、、

 

2008年4月 3日 (木)

不思議なタクシー料金

ガソリンの暫定税率を巡って大騒ぎになってしまい、忘れられた感がありますが、今回は昨年12月に上がったタクシー料金に関しての話です。

 

あ、そう言えば「日銀総裁」のことも忘れられてしまった様ですね。

政策委員は単に金利を決めるだけでなく、一般の会社の執行役員の様な立場でもあるので、総裁を含めて2名欠員と言うのは大変だそうです(日銀にいる友人より)(-_-) =3フゥ

 

東京地区の初乗り料金は、昨年の12月3日従来の660円から710円に、またその後の加算料金(288メートル毎)、時間距離併用運賃も80円から90円に、それぞれ値上げされました。

逆に深夜割り増しは、23時以降3割り増しが、22時以降2割り増しに変更となっています。

 

さて、仕事柄仕方が無いのですが、ヴォータンはほとんど毎日タクシーに乗ります。

タクシー評論家になれるかも(*^-)vィェィ

 

で、運転手さんとよく話をするのですが、今回の値上げに関しては、現場(運転手)レベルでは、????の様です。

 

3ヶ月経ったので聞いてみたのですが、実車率はこれまでの値上げの時と同様に下がっているそうです。

まあ、やがてこの料金体系に慣れが出てお客さんが戻ってくれれば良いのでしょうが、どうも景気の先行きが怪しいですから、戻ってくれるのかどうか心配です。

 

過当競争の問題など難しい点はあると思うのですが、ヴォータンは現場がお客が減っていると言っているのに、何故単純に初乗り料金から上げてしまったのか不思議だと思っています。

 

確かにエネルギー価格の高騰でコスト増となっていますから、値上げに踏み切らざるを得なくなったと言う面はあると思います。

しかし、タクシーは乗ってもらって料金を払ってもらってナンボの世界ですから、いかにしてお客を逃がさず、むしろ引き付けて売り上げ増に結びつけるかを今回の値上げを機に考えるべきだったと思います。

 

つまり、お客が離れることを防いでコスト増を料金に反映させるのならば、むしろ初乗り料金を下げて(ただし初乗り区間を半分にする)、その後の料金の加算を大きくするべきだったのではないでしょうか。

 

まず乗ってもらわない事には料金は取れません。初乗り料金が安ければ、乗る人の層は広がるはずです。

乗せてしまえば、たった一人のお客に一人の運転手がついて目的地まで運んでくれると言う贅沢極まりない快適な乗り物ですから、もっと長い距離でも乗り続ける人が出てきたり、今までタクシーの快適さを知らなかった人がリピーターになったりと、プラスの効果が期待できるはずです。

 

人手をものすごく掛けるコストの高い交通手段ですから、実は料金はもっと高くても良い様な気がしますが、そこは歴史的経緯や需要と供給の問題で現在の料金となっている訳ですから敢えて問題にはしません。

 

ただ、もう少し工夫が出来なかったのか?と、運転手さんのきつい労働実態を聞いて気の毒に思う今日この頃です。

 

ちなみに、ヴォータンはMKタクシーが東京に進出してきた時からの固定客ですので、今回の値上げの影響は軽微です(MKは値上げしませんでしたので)。

 

2008年3月 1日 (土)

邦銀化した外資系金融機関に注意!

日本に於いて、外資系企業が圧倒的な存在感を持っているある特定の業種と言えば、金融業を挙げておけば間違いないでしょう。

 

このブログで何回も指摘したとおり、金融業を「制度」と位置づけ「産業」とは考えなかった規制当局や業界人(経営者)の怠慢により、日本の金融機関は、世界の金融産業界で主要な役割を果たす企業とは認められていません。

 

日本の製造業は世界に冠たる素晴らしい製品群を生み出し、世界中の人々の生活を便利で豊かなものにすることに多大な貢献をしてきました。

最近、最終製品でアジア各国の追い上げを受けていると言われていますが、中身を開けてみると、日本の企業の作った資本財を使わないと製品にならないものばかりですから、依然として日本の製造業の世界的な価値には大変なものがあります。

 

しかし、日本の金融業は「金融制度」と言うお役所(制度そのものですね)の亜流の様な立場に安住していた為、産業としての力がありません。

日本の金融機関から、世界の金融界に革命をもたらすような金融商品が発明されたケースは皆無です。

経営者が「産業」だと意識していません(役所だと、、、)でしたから、新製品を生み出す為の研究機能を持っていません。当然と言えば当然ですが。

「宮崎県庁から新製品が出た!」なんて聞いて事がありませんよね。

 

この点については、以前に述べてきましたのでこれ以上は立ち入りませんが、一つだけ日本のみなさん(金融関係者も)がご存じない事実を書き留めておきます。

 

英国の中央銀行(バンク・オブ・イングランド)は、定期的に世界の金融システムの安定に関するレポートを出しています。

「Financial Stability Report」

http://www.bankofengland.co.uk/publications/fsr/2003/fsr15art3.pdf

その中で、世界の金融に関してあらゆる意味で大きな影響をもたらすと評価した金融機関をLCFI(Large Complex Financial Institutions)と称して、その影響力の大きさに対して監督当局として強い関心を示しています。

 

英国の中央銀行のレポートですが、その金融機関とは

Citigroup(米)

Deutschebank(独)

Credit Suisse(スイス)

JP Morgan Chase(米)

Barclays(英)

Goldman Sachs(米)

HSBC(英)

Societe Generale(仏)

Bank of America(米)

Lehman Brothers(米)

Merrill Lynch(米)

Morgan Stanley(米)

UBS(スイス)

ABN Amro(オランダ)

BNP Paribas(仏)

 

と、イギリスの内外を問わない15社です。日本の金融機関は一つも入っていません。

つまり、影響力が無いので監督当局として注意する必要が無いと言う事です。規模は大きいはずなんですが、、、、

 

さて、今日のテーマに入る前にずい分脱線してしまいました(--;)

今や圧倒的な存在感を誇る外資系金融機関は、学生に限らず金融業を志す皆さん全般の人気も高くなって来ています。

ヴォータンが

「君、人生を捨てる気か?」

と邦銀の人事部員に言われながら、飛び出した20数年前とはまさに様変わりです。

 

ただ、色々な面で「外資系の良さ」を評価して、外資で働いてみようかと言う皆さんに、ここ数年体質が変わってしまった会社があることにご注意頂きたいと思います。

 

何度も書いたとおり、ヴォータンが20年以上前に転職した頃は、優秀な男子学生には見向きもされ無いので、優秀な女子学生を取りまくると言う状態でした。

ところが、金融危機とその後の邦銀の大合併の過程を経た辺りから、風向きが変わり男女を問わず優秀な学生が門を叩いてくれる様になりました。

ここまでは、良かったのですが、、、、、

 

実は、変わったのは学生だけではありませんでした。

 

それまで、一度銀行に入った人は、「人生を捨てる」覚悟をしたお馬鹿なヴォータンみたいな変わり者でもなければ、絶対に外の会社になど転職しませんでした。

優秀な人であればあるほど、その傾向が強かったと思います。

 

ところが、金融危機とそれに続く大合併・リストラと言う過程で、「人事・昇進」こそがすべての組織(役所ですから)であるにも拘わらず、「人事」面で色々と理不尽なことが行われました。

 

その結果、個人としての能力は非常に高いのに、

「会社が倒産した」

「社内ポリティクスに敗れた」

「合併された側なので不遇となった」

「先輩に対するその様な理不尽な扱いを見てしまった(若手)」

と言った人達が、大挙して外資系金融機関に殺到しました。

 

正直言って、これまでであれば絶対に入ってもらえなかった様な人材が大勢仲間になってくれました。

これで、メデタシメデタシと行きたいところなのですが、この「大移動」の結果困ったことが起きてしまいました。

 

まず、応募してきた人達は、

「外資系の良さを評価して入ってきた」

とか

「邦銀の体質に不適合(ヴォータンの様に)」

とか言う訳ではありません。

 

何事もなければ、そのまま邦銀で会社人生を終えるつもりだった人達です。

 

そう言う人達であっても、一人や二人なら少数派ですから、外資系の水に溶け込ませてしまうことが可能です。

ところが、一時期に大量に入ってきたので、ある部署では半数近くが「元邦銀組」などと言うことになってしまいました。

 

それでもその部門のトップが、外資の良さも悪さもわきまえた人なら良かったのですが、トップそのものが邦銀から来た人に占められると言うケースが出てきました。

 

そうなると、邦銀の文化をそのまま持ち込んでしまうことになります。

年次を気にする

女性を差別する

理不尽な命令をする

変な集団主義を押し付ける

などなど、外資系の良さを潰してしまう様な組織を作ってしまいました。

 

さらに問題を深刻にしたのは、以前のブログの書いたとおり、邦銀と違って部門長が、

「人事権(採用・解雇)」

を持っていることです。

 

本来は、部門長に成果・コストのすべての責任を負わせる為の制度なのですが、邦銀から来たトップ(部門長クラス)にしてみれば、突然絶大な権限を与えられたことで、勘違いする人が続出しました。

特に、「人事がすべての組織」の出身者ですから、「人事権」を振り回せることは「快感」そのものです。

 

気に入らない人間が居れば、簡単に解雇していきました。そうやって、自分の組織を完全に邦銀時代と同じものにした会社がいくつもあります。

 

実は、こういう馬鹿なことをすると自分のユニット(部門)の成績が上がりませんから、自分自身のクビが飛びます。

と言うことで、ここ数年で、そういうド勘違いしたトップはかなり消えましたが、まだ一部ではしぶとく生息しています。

 

外資系の良さを評価して入ろうとしている皆さん、

入社時によく相手の立ち居振る舞いを見て、そう言う組織で無いことを確認されることを強くお勧めします。

2008年2月23日 (土)

偉大なる?素人:日銀総裁

2006年頃から、このブログをお読み頂いている皆さんは、ヴォータンが日銀に対して批判的であることが十分お分かり頂けると思います。

何しろ、

「福井日銀総裁はお辞めになるべきです」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_46bb.html

「失われた10年は銀行の責任か?」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_80c8.html

「(続)福井日銀総裁はお辞めになるべきです」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_685d.html

「前川レポートの恥ずかしい中身」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_e131.html

「(続)前川レポートの恥ずかしい中身」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_ae91.html

「日銀はだれのものか」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_b8ac.html

「(続)日銀はだれのものか」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_5a6d.html

「日銀は何を間違えたのか」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_a11f.html

前川レポートの恥ずかしい中身(再論)」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_3a3b.html

「日銀インサイダー」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_330d.html

「日銀の説明責任-『誰にも信頼されない中央銀行』への道

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_355c.html

「日銀の利上げ-2つの圧力」

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_b706.html

「グローバル経済を学ぶ-前川レポートはやっぱり間違い}

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_db07.html

 

と、まあ日銀の政策そのものから始まって、その姿勢・倫理的問題にまで及んで批判をしていますから、、、

おまけになりますが、mixiのコメントで色々な方とお話した中で、こう言うことも述べています(mixiに入っていらっしゃらないの為に再録します)。

+++++++++ mixiでのコメント ++++++++

おっしゃる通り、大蔵省=政治(私は、同一と見ています)の問題も大きいと思います。

ただ、日銀が政策担当官庁の一つとして(且つ、公務員ではないとして、都市銀行と同等=大蔵省の役人よりはるかに高い給料を食んで、立派な社宅に住んでいる)存在している以上、その政策の結果責任を問いただすべきだと思います。
――スミマセン。ちょっと脱線しました m(--)m

 
三重野総裁は、前任の大蔵省出身の澄田<無策>総裁に対するあてつけで、日銀の総意として急激な利上げをやったと言う見方もありますが、少なくとも日銀の事務方は澄田総裁の無策を支持していました。

それは、その後の「岩田Vs.翁論争」を見ても分かります。

つまり、三重野総裁の行為は、無策を正しい策としていた日銀の事務方さえビックリするようなトンデモない行為だと言うことになります。

私には、当時の三重野総裁の行為は、国民の劣情を煽るマスコミの力を借りて、対大蔵抗争をしかけたバクチ的行為としか思えません。


日銀首脳の無能ぶりを嘆くのは、実はその前に伏線があります。

澄田総裁の前任に、前川春雄という日銀生え抜きの総裁がいました。日米経済摩擦が激しくなった時、(辞任後ですが)「前川レポート」なるものを出したんですが、これがトンデモナイものでした。

もし、お暇があれば読んでみてください。国際経済学のイロハすら知らないトンデモナイものです。

しかも、総理の委託で元日銀総裁がまとめたレポートと言うことで、公式のものでしたから、その馬鹿さを見事にアメリカに突かれて、民間企業はとんでもない苦労をさせられました。

この程度の人物を「生え抜き」として総裁に祭り上げる日銀の「政策官庁」としての能力にずっと疑問を感じています。

日銀は、大蔵との抗争があればあるほど、正しい金融経済理論に基づいた政策官庁であるべきだったはずですが、その点で大蔵にはるかに及ばないお粗末な官庁だったと思います。一体、何をやっていたんでしょうかね?
 

++++++++引用終わり++++++++++

 

さて、いよいよ「投資の素人」を自認した金融人としての倫理観の欠如した福井総裁が退任します。

武藤敏郎日銀副総裁(元大蔵事務次官)を任命するかどうかで、自民党と民主党とがぶつかっているようで、ぶつかっていないようで、、、、

その後任人事をめぐってメディアは、

「日銀総裁選びを政争の具にするな」

ともっともらしい批判をしていますが、これはまったく的外れです。

また、民主党は

「元大蔵省(財務省)の人間(官僚)の天下り先にするな」

と反対していますが、これも的外れです(まあ、財政と金融の分離と言うタテマエ論はありますが)。

 

後任人事をめぐって正しい批判をするならば、

「金融政策の素人を任命するな」

となるべきです。

 

武藤敏郎氏の経歴をwikipediaから引いてみると

  • 1966年3月 - 東京大学法学部卒業
  • 1966年4月 - 大蔵省入省。大臣官房文書課配属
  • 同期には中山恭子、中島義雄、長野厖士、塩田薫範(公取委事務総長)、井坂武彦(造幣局長、道路公団財務担当理事)、佐藤謙森昭治(金融庁長官)ら
    • 1968年   - 経済研修
    • 1969年 - 関税局企画課係長
    • 1970年7月 - 彦根税務署長
    • 1975年 - 在ワシントン日本国大使館一等書記官
    • 1978年 - 主計局
    • 1982年6月 - 石川県商工労働部長、のち総務部長
    • 1984年7月 - 主計局主計官(文部係)
    • 1988年6月 - 銀行局中小金融課長
    • 1990年6月 - 大臣官房秘書課長
    • 1992年6月 - 主計局次長(次席)
    • 1994年7月 - 主計局次長(主席)
    • 1995年5月 - 大臣官房総務審議官
    • 1997年7月 - 大臣官房官房長
    • 1998年5月 - 大臣官房総務審議官
    • 1999年7月 - 主計局長
    • 2000年6月 - 大蔵事務次官
    • 2001年1月 - 財務事務次官 / 大蔵事務次官から改称
    • 2003年1月 - 財務省顧問
    • 2003年3月 - 日本銀行副総裁

     

    ちょっと、ごちゃごちゃして見にくいですが、要するに金融政策にたずさわった経験はありません。

    ましてや、エコノミストとして働いたことも、金融論を経済学的に学んだ形跡もありません。

     

    つまり、この方は「金融のまったくの素人」です。

    おそらく日銀副総裁になってから、お勉強をされた程度でしょう。

     

    武藤氏の大蔵省時代の評価は、「寝業師(人事関係がうまい)」です。余談ですが特段キレ者とか豪腕と言う評価はありません。

     

    この金融業界で働いたこともなければ、エコノミストでも経済学者でもなく、金融理論もマクロ経済学も学んだことすらない人が総裁になると言うのは、一体どういうことなのでしょうか?

     

    星野監督にサッカーの日本代表監督をやれと言っているのと同じことです。

     

    しかも、日銀総裁はG7や、隔月で定期的に開催されるBIS(国際決済銀行)の中央銀行総裁会議などで、国際的なコミュニケーションが求められます。

     

    この様な会議の場に出てくる他国の総裁は、ひとりの例外も無く英語でのコミュニケーションが出来ます。

    ところが、武藤副総裁は英語がからっきしダメだと伺っています(福井総裁は、何とか、、、、)。

     

    「通訳を連れて行けばいいじゃないか」

    と思われると思いますが、実はそうは行きません。

     

    何故、G7やBIS会議と称してわざわざ集まるのでしょうか?

    これだけ通信網が発達しているのですから、テレビ会議で十分なはずですよね?

     

    実は、欧米の連中の文化では、公式の会議やセミナーには、必ず立食のパーティーやら何やらでオフィシャルではない会話が出来る機会が設けられています。

    そこで、ワイン・グラス片手に「立ち話」をするのが、実は本音を探るのに有効なんです。

    しかも、1対1で話をしますから個人的な親密感も醸成されます。これが、大事なことは洋の東西を問わず常識ですよね。

     

    と言うことで、武藤氏は会議に行っても、同時通訳のついた公式会議以外では何も出来ない人になってしまいます。

    公式会議にだけ出るのであれば、飛行機代と時間がもったいないですから、日本だけはビデオ・コンファレンスで参加すれば十分でしょう。

     

    ちょと脱線しましたが、ともかく「金融の素人」が総裁や副総裁になるこの国のシステムは異常です。

    日本の組織の「ゼネラリスト」万能主義の弊害を見る思いです。

     

    これは、ある外資系証券会社のエコノミストの方からお聞きしたのですが、

    「総裁と副総裁は素人でいいと法律で決まっている」

    そうです。そんな馬鹿なヾ\(*m)バンバン と思って日銀法を調べてみたら、確かに彼の言うとおりでした。

     

    ++++++ 日本銀行法 ++++++++++

    (役員の職務及び権限)
    第二十二条 総裁は、日本銀行を代表し、委員会の定めるところに従い、日本銀行の業務を総理する。

    2 副総裁は、総裁の定めるところにより、日本銀行を代表し、総裁を補佐して日本銀行の業務を掌理し、総裁に事故があるときはその職務を代理し、総裁が欠員のときはその職務を行う。

    (中略)

    (役員の任命)
    第二十三条 総裁及び副総裁は、両議院の同意を得て、内閣が任命する。

    2 審議委員は、経済又は金融に関して高い識見を有する者その他の学識経験のある者のうちから、両議院の同意を得て、内閣が任命する。

    +++++++引用終わり+++++++++++

     

    (_o)ジーーーーーッ

    何となくフンフンと読み飛ばしてしまいそうなんですが、太字の部分にご注目下さい。

    「経済又は金融に関して高い識見を有する者その他の学識経験のある者」

    と言う、まったく当たり前の資格要件が定められているのは、「審議委員」であって、総裁にも副総裁にもこの資格要件は適用されていません。

    うーーーーーーーーーーーーーーん、、、(___ ___ ;)尸マイッタ

     

    的外れの議論をする政治家とメディアの狂想曲が終われば、我々は国際的コミュニケーション能力に欠ける「金融の素人」の中央銀行総裁を迎えることになります。

     

    ちなみに、アラン・グリーンスパン元FRB議長は、

    「ジュリアード音楽院卒」

    だから金融の素人だろうと勘違いしている人もいらっしゃるかもしれませんが、その後ニューヨーク大学で経済学を学び、博士号までとっています。

    しかも、アメリカを代表する経済調査会社(コンファレンス・ボード)に勤務し、その後独立して自分の経済調査会社を経営(これは大変なことです)して、成功しています。

    昔のことなのでご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、フォード政権の大統領経済諮問委員会の委員長と言う重責も担った後の中央銀行総裁就任です。

     

    後任のバーナンキ議長が、高名な経済学者であることはご存知の通りです。

    製造業には素晴らしいプロが大勢いる国なんですが、、、、

     

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    2008年2月22日 (金)

    女性が働き続けると言うこと;残業論

    ヴォータンが20年以上前に外資系に移った頃、正直言って日本人社員の質は、それまでに勤めていた邦銀とは天と地ほどの差がありました。

    もちろん、邦銀が「天」で外銀が「地」です。

    (こう言って置かないと、最近の状況しか知らない方は勘違いするかもしれませんので)

     

    あまりの格差に、人生を賭けて邦銀を飛び出してきた身としては、内部で会議をやったり一緒に仕事をするたびに、目の前が暗くなったことを思い出します。

    特に男性社員の質は低く、恥ずかしくて一緒に外訪したくないとまで思ったほどです。

     

    これを救ってくれたのが女性社員です。

    もともとヴォータンが入った当時から、女性社員は押しなべてレベルが高かった(男性が低すぎたと言うこともありますが)のですが、さらにこちらが積極的に一流大学出身の女性を採りに掛かった為、一気にレベルが上がりました。

     

    当時一流大学出の男性は応募すらしてこなかったのですが、その同じ大学の女性達を大勢採用することが出来ました。

    実は、今読んでいるアラン・グリーンスパン元FRB議長の回顧録「波乱の時代」の中で似たような記述が出てきます。

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    彼は、大統領経済諮問委員会委員長になる際に、利益相反を避ける為に「タウンゼント・グリーンスパン」と言う自分の会社の経営を、すべて4人の女性に託しています。

    もちろん、株式は全部「信託」しています。

    --余談ですが、ファンドに投資をしたり、株式を売買していたどこかの「素人を自称する」日本銀行総裁の姿勢とは大違いですね。--

    +++++++++引用 「波乱の時代」 P.107+++++++++

    タウンゼント・グリーンスパンは経済コンサルティング会社としては珍しく、女性の上司のもとで男性が働いていた。

    女性のエコノミストを採用したのは、何も女性解放運動に共鳴したからではない。ビジネスという観点で有利だったからだ。

    わたしは男性と女性を同じ様に評価するが、他の企業ではそうしていないので、優秀なエコノミストでは女性の方が男性より給料が一般的に低くなっていたのだ。

    女性を雇ったことで、二つの効果があった。

    タウンゼント・グリーンスパンでは同じコストで質の高い仕事ができ、女性の市場価値が若干だが上昇した。

    ++++++++++++引用終わり+++++++++++

     

    以前、ブログに書いたのですが、当時採用した女性達の中には、今も現役で活躍している人達が大勢います。

    実は、採用する側に、人を見る目があったと言いたいんですが;)

     

    いずれにせよ、この女性達がいなければ、今のヴォータンはなかったかもしれません。

    さて、初々しい新入社員として入ってきた彼女達も、やがて結婚し子供が出来て、、、と言う人生のステップを上がり始めます。

     

    ここで問題になるのが<育児>です。

     

    <ダンナの世話>ではありません(念の為)。

     

    ヴォータン自身は、男女関係無く

    「自分の身の回りのことは自分でやるのが正しい」

    と思っているので、掃除、洗濯、炊事は出来る限り自分でやります。

     

    と、言うことで、彼女達には、

    「自分のダンナとなる男性には、自分の身の回りのことは自分でやるよう躾なさい」

    と言い続けてきました。

     

    「何でも二人でやれ」

    とか、

    「ダンナに家事をやらせろ」

    と一方的に決め付ける訳ではありません。

     

    「ダンナも自分も出来れば、後はどちらがやるのが合理的かと言う事を、時と場合によって判断して柔軟に対応出来るでしょ?」

    と言う考え方です。

     

    これで、彼女達はずい分うまくいったのではないかと自負しているんですが、ひとつ大きな問題がありました。

     

    育児は、どうしても「合理的に」とはいかないのです。

     

    子供が小学生となるくらいまでは、どうしても「母親でなければダメ」と言う局面が出てきます。

    その為、仕事をする母親である彼女達は、どうしても育児に縛られると言うハンディを背負うことになりました。

     

    その結果、一時退社していった人達もいます。しかし、多くの女性達は働き続けました。

     

    何故、彼女達が働き続けることが出来たかと言うと、時間の管理を自分で出来たからです。

    激務をこなしていたのですが、まさにホワイトカラー・エグゼンプションに該当する様な、自己裁量が働く人達が大半ですから、6時になったらさっさと帰って保育所に子供を迎えに行くということが可能だった訳です。

    ただし、その後子供を寝かしつけて、深夜に仕事を完成させたり、授乳しながら深夜までNYとコンファレンスコールをやったりと、苦労はしていた様です。

     

    そのレベルに達していない、もう少し自己裁量の範囲が狭い女性達でも働き続けていました。

    その理由は、会社が

    「残業を前提として動く組織となっている」

    とか

    「残業をするのが当たり前の仕組み・雰囲気となっている」

    と言うことがなかった為、やはり時間の計算が出来たことです。

     

    昨日のブログの最後に書いたことを、少し拡大して書いてきたのですが、申し上げたいことは同じです。

    残業を前提とした職場では、子供の出来た女性が働き続けることは不可能です。

     

    ヴォータンのいた邦銀の海外支店で、

    「残業を無くす為の会議を支店長以下全員でやろうとしたら、時間をそろえること出来たのが午前1時だった」

    と言う笑えない話があります。

    (偶然出張中のヴォータンも、行きがかり上参加しましたが--欠席しにくい「空気」がありましたので)。

    ここまで極端では無くても、定例の会議が夜8時からなどと言う会社もあるそうですね。

     

    そもそも残業を当たり前だと思っている会社の仕事の効率が高いはずがありません。

    残業を当たり前だと思い、効率を上げる努力をしない社員が増え、優秀な女性が働き続けることが出来ない環境となっている会社の未来は明るくないと思います。

    2008年2月21日 (木)

    え?残業代払ってなかったんですか?     ┌|゜□゜;|┐

    日経新聞は普通の記事よりも、特集記事になかなか面白いものが出ます。

    最近は、「働くニホン:現場発」と言う特集を一面でやっているのですが、今朝の記事を見て思わず目を疑いました。

    +++引用:日本経済新聞 2008年2月21日朝刊 +++++

    <カイゼンは業務か>

     昨年11月に名古屋地裁が下した判決がトヨタ自動車に衝撃を与えている。最強トヨタの競争力を支えるQC(品質管理)サークル活動を「業務」と判断したからだ。

    同社は通常勤務終了後のQCを社員の「自発的活動」とみなし、残業代を原則払ってこなかった。

    全額払う流れになれば、同様の活動を手掛ける日本企業全体に影響が及ぶ。

    <崩れる暗黙の了解>

     発端は6年前。トヨタ堤工場(豊田市)の班長、内野健一(当時30)が未明の事務作業中にイスから崩れ落ちて息を引き取った。妻の博子は労災と認めるよう国を相手取って提訴した。

     争点は、製造工程などのカイゼンに取り組むQCサークル活動や「創意くふう提案」を業務とみなすかどうか。

    国側はトヨタの基準に沿って「業務外」と判断、倒れる前の残業は月間約50時間なので、労災にあたらないと主張。原告側は「業務」だから155時間と訴えた。

    地裁は最終的に「事業活動に直接役立つもの」として業務と判断、国側敗訴の判決を下した。

    +++++++++++++++ 引用終わり ++++++++++++++++

     

    うーーん、驚きました。

    「トヨタ自動車に衝撃」ではなく、「ヴォータンに衝撃」です。

     

    職場のスタッフが、社内の施設・部屋に集まって

    「仕事をどうやって改善したら良いか」

    についてミーティングすることが業務でなければ、一体何が業務なんでしょうか?

     

    「自発的」(・・?)

    山本七平氏の有名な「空気の研究」にある通り、日本人は「空気」で動きます。こんなことは、ちょっと教養のある日本人にとっては常識ですから、

    「自発的」

    との主張をしている人は、相当なワルですね。

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    著者:山本 七平
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    しかも、月間の残業時間が155時間(Д;≡;Д)

    月間の営業日が20日として、1日あたり7.75時間(-_-;) 

     

    ヴォータンは自己裁量で、土日に働いたりあれやこれやとやりますが、1日に直すとせいぜい5時間程度でしょう。

    しかも、制度的には毎年必ず2週間連続の休暇をとらされますし、それとは別に休暇も、、 

    おまけに、時々パーーーーーーッと夜の街に出て行ったりします(σ^0^)σ

     

    この記事の中で亡くなられた方は、間違いなくブルーカラーですから、「班長」と言う肩書きがついていますが、こんな「自己裁量」はないはずです。

     

    どうひっくり返っても、「業務に対する残業代」を払うべきなのに、「自主的」と言うほとんど詐欺に近い理由で払わないと言うのは、会社の品性を疑いたくなります。

     

    以前、

    「ホワイトカラー・エグゼンプション--勘違いしていませんか?」

    http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_365e.html

    「ホワイトカラー・エグゼンプション(補足)」

    http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_cc30.html

     

    で危惧した通りの世界がすでにブルーカラーで発生していた訳ですね。

    こんな文化の国で、ホワイトカラーに適用なんてとんでもない話です。

     

    そもそも残業が当たり前と言う仕事の仕方は変えるべきだと思います。

    今、女性の活用(失礼な表現だと思いますが)としきりに言われますが、その為には残業を常態化してはいけないと思います。

     

    男女が子育てに参画すると言っても、子供にとっては「母親が良い」と言う時期(特に小さい時)があります。

    たとえ保育所に預けていても、子供を迎えに行くのは働いている母親だとすると、何時までやるか分からない残業体質は非常に苦痛になるはずです。

    日本人の組織特有の「空気」を考えると、何となくみんなが残って残業をしている時に、帰るのは難しいでしょう。

    残れば育児に支障が出る、帰れば仲間ではないと言うことで疎外される、と言う状況ではないでしょうか。

     

    これでは、女性に

    「思い切って働いて下さい」

    とはとても言えませんね。保育所の保育時間の延長云々が議論されている様ですが、その前に、「残業を無くす」ことに社会全体が注力すべきだと思います。

     

    会社が人生の人は、会社に住んでいる様なもので、家に帰っても仕方が無いんで「残業」をして(残業を作って)居残る、、、、

    こういう悲しい人生を多くの日本人が送るべきでは無いと思います。

     

    などと、言っても空論にしか聞こえないと思いますが、、、、、

    「規制・お上頼み」は大嫌いなんですが、こと残業に関しては、政府の最優先課題としてキャンペーンを張り、改善しなければ「残業を規制」するべきではないでしょうか。

    クールビズはうまく行きましたが、、、

     

    ちなみに、記事では

    ++++++++++ 引用++++++++++++++

    QCサークル活動を業務外とみなす会社は多い。判決に従えばコストが膨らみ、競争力低下を招く。

    ++++++++++引用終わり+++++++++

    と、あります。「コスト」とは、よくも言ってくれたなと思います。

    「コストが膨らみ」

    ではなく、

    「サービス残業で搾取出来なくなり」

    ですね。

    日本の企業はいかにして差別化し、いかにして生産性を上げるかに注力すべきだと思います。

    特に、ホワイトカラーの生産性は、、、、、

    2008年2月20日 (水)

    人材勝負!に出られない日本企業

    ヴォータンは今から20年以上前に、日本の銀行の組織と不適合を起こしました。

    別に、上司と喧嘩をした訳でもなく、単に、

    「マーケット部門でずっと過ごしたい」

    と希望したのですが、当時は定期異動システム万能の時代ですから、役員も含め誰も私の希望をかなえることが出来なかったと言うだけです。

    結果的に、自分の希望を通すには、銀行を辞めるしか選択肢が無かったので、最終的には円満に退職させて頂きました。

    ただ、何しろ、当時は海外駐在経験の無い行員が、「外資に転職するので辞める」と言い出したケースが無かったので、(有難い?事に)役員室まで巻き込んで上へ下への大騒ぎとなりましたが、、、 

     

    さて、それから20年。今では外資での生活の方が長くなってしまいましたが、邦銀も2年や3年で辞めた訳ではありませんし、短期ですが海外赴任もしていましたので、邦銀の裏表も見ることも出来ました。 

     

    邦銀も外資も一長一短だと思うのですが、何と言っても邦銀の強さは組織に対する圧倒的な忠誠心だったと思います。

    外資に移ってからは仕事の上ではライバル関係になったのですが、常に非常に高いモラルを持ってがむしゃらに働く行員を大勢抱える邦銀は脅威でした。

    ただ、この点に関しては、邦銀も「負の成果主義」の方向に走って、昔の圧倒的な忠誠心の集団で無くなったので、脅威では無くなってしまいましたが、、、 

    この件に関しては以前ブログに書きましたので、ご興味のある方はこちら↓をご参照下さい。

    成果主義の10年(負の成果主義の悲惨な結末) 

    http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/10_aafa.html

    さて、今回のテーマはもう少し違った視点によるものです。

    先日、

    「留学生を買い負ける日本」

    http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_4957.html

    と言うことを書いたのですが、それ以前の問題として、日本企業は優秀なビジネスマンを買い負けていました。

    いや、敢えて買いに行かなかったと言っても良いのかもしれません。 

     

    邦銀では、学卒新規採用組がすべてと言って良いでしょう。この大学を出てまっすぐ入行した人間だけが頭取や役員への道、もしそこまで行けなくてもラインのマネージャーの道をひた走ることになります。

    間違っても中途採用の人間が、ラインのマネージャーになることはありません(戦国時代の外様大名みたいなものですね)。 

     

    余程の事情が無い限り、有能で野望や希望を持つ人材が、この組織に入ってくる訳が無いことは誰でも分かりますよね。 

     

    昔話になりますが、その邦銀にも極めて開明的な役員が登場しました。

    彼は、かつての自分の部下(ヴォータンもその一番下にぶら下がっていました)達が、外資系に移って活躍している姿を知っていました。

    何しろヴォータンを含め辞めた人間とよく食事をしたりしていましたんで。 

    そこで、役員になってある程度の権力を握った段階で、人事部に対して、

    「あいつらを買い戻せ!」

    とプロジェクトを組ませようとしました。 

    結果は、、、、、行内のあらゆる勢力の大反対で、、、、 

    まあ、買いに来られてもこちらに戻る気が無かったんで実現しなかったでしょうが、それ以前に

    「一度辞めた奴が、、、」

    と言う反発で、まったく話にならなかったそうです。 

     

    その後時が経ち、大型合併を繰り返して、組織的にガタガタになりながらも、逆に最近は中途採用を積極化している様ですが、やはり「学卒はえぬき組」以外は外様です。

    外資系企業で働いていた人も採用しているようですが、誤解を恐れずに言えば、もうお分かりの様に

    「余程の事情がある人」

    が邦銀に出戻ったり、入ったりしていると見られています。もちろん、ヴォータンの逆パターンで外資系企業に不適合の方もいらっしゃるでしょうが。 

     

    ただ、これが外国人となるともっと悲惨です。

    ヴォータンは米系一筋20数年になってしまいましたが、その間に一緒に働いたり、出会った外国人<(・・?)ヴォータンが外国人?>の国籍は実に多様です。 

    まさに色々な国籍の人間が、その能力を評価されて働いていました。

    これは特に米系に顕著なのですが、現地への権限委譲意識が非常に強く、本国(米国)から社員を送り込むことを好みません。

    実際、米系金融機関の日本法人のトップはほとんど日本人です。

    その下は、当然ほとんど日本人で、ごく一部にポツンポツンと特殊な職種の外国人がいると言う構図です。

    「外資系金融機関の日本法人に入っても、全然英会話がうまくならなかった」

    と言うのは、本当です。もちろん世界中の拠点間のコミュニケーションは英語ですし、社内の公式文書は英語ですから英語は必須ですが、マネジメントレベルにならなければ、大して英語力が無くても大丈夫な職種はいくらでもあります。 

    では、

    「日本は日本人で経営させるのだから、日本人社員は日本国現地採用か?」

    と言うと、そんなことはありません。そもそも「現地採用」「現地行員」「ローカル・スタッフ」と言う概念が無いのです。 

    単に、

    「適材適所を考えたら、日本は日本人に任せた方がうまくいくから、、、」

    外資系でありながら、日本人の組織になっているだけで、もしポストがあれば日本で採用されようが、ロンドンで採用されようが、米国の本店で働く人がいくらでもあります。

    こんな組織ですから、世界中から人を集めることが出来ます。 

     

    よく日本の経営者の方が、

    「組織は人材だ」

    とおっしゃっていますが、まさにその通り。

    有能な人材をどれだけ集めるかが組織の盛衰にかかわってくるのです。

    ただ、日本の経営者の方がおっしゃる「人材」には外国人は入っていないようです。 

     

    ヴォータンは、学生時代から極めて優秀な友人に恵まれましたので、日本人が如何に優秀かよく分かります。

    しかし、邦銀を辞めて出合った外国人達の中には、それに負けず劣らずどころか、及びもつかないほど優秀な人達がいました。 

    この人材を邦銀はまったく取り込めていません。

     

    その理由は、ここまでお読みになった方にはもうお分かりですよね。

     

    本当に優秀な外国人にとって、邦銀はまったく魅力の無い職場だからです。 

     

    魅力が無いだけならまだしも、「差別的」でもあります。 

    米系金融機関の日本法人が「上から下まで日本人」と書きましたが、邦銀の海外法人はやはり「上から下まで日本人」です。

    トップに日本人を置くのは、百歩譲って良しとしても、その下のクラスの要所要所を全部日本人で固めると言うのは如何なものでしょうか?

    支店長、副支店長、課長、係長が、ほとんど全部日本から赴任した日本人に占められている組織に、優秀な現地の人が入るでしょうか? 

    また、「現地採用」「現地行員」「ローカル」と呼ばれ、給与体系から昇進まで、まったく差別的に扱われる組織に、優秀な現地の人が入るでしょうか? 

    これでは人材を買い負けるはずです。 

    色々とお聞きして見ると、製造業で海外展開をしていらっしゃる企業では、ここまでの極端な「日本の組織の輸出」状態ではなく、現地化が進んでいるようです。

    世界を相手に競争せざるを得ない企業と、日本国内で「金融制度」として生きている企業の差がここでも出ていると思われます。 

    ビジネスマンを買い負け、留学生を買い負けでは、今後の邦銀の伸びは期待薄だと思います。

     

    メリルリンチにみずほコーポレート銀行が出資したことで、「邦銀の反転攻勢か?」と言った方がいらっしゃいますが、それは無理な話でしょう。

    たとえもっと出資しても、送り込める役員がおらず、経営など夢のまた夢ですから。 

    2008年2月19日 (火)

    経営者を輸入しませんかヽ(・・ )

    実は先週は本社から大親分が来日していて、結構忙しい毎日を過ごしていました。

    何故忙しいか(・・?)と言うと、、、それは後ほど(^^)

    どれくらいのポジションの人かと言うと、一番上が会長、その下に一人、それに次ぐポジションです(No.3)。

    日本の会社と違って、会長が自社の業務より業界団体活動に精を出すと言う文化ではありませんから、この会長は日本の会社の感覚で言うと社長ですね。

    と言うことは、彼のポジションは専務と言ったところでしょうか。

     

    これは聞いた話ですが、日本の会社で専務が海外出張するとなると、お供の社員が付いて一緒に飛んでいって、しかも、現地法人の社長や支店長が空港までお迎えに上がり、、、

    だそうですね。

     

    ヴォータンは過去20年以上外資系金融機関に勤めていますが、そういうことをしたのを見たことがありません。

     

    基本的に一人で飛行機に乗ってきて、勝手にホテルに行って、荷物を置いたらオフィスに顔を出してきます。

    まあ、せいぜい贅沢をして、成田から成田エクスプレスや京成ライナー、エアポート・リムジンに乗らずにタクシーに乗る程度です。

    えーーーと、ヴォータンもヒースローや、ローガン、ケネディと言った空港からホテルまで、やっぱりタクシーに乗ってるんで「贅沢だ!」なんて言えませんが。

     

    ちなみに、中には、

    「時間が計算出来る方が良い」

    と言って、成田エクスプレスや京成ライナー(こっちの方が座席が向かい合わせじゃないので楽)で都心に入ってきたボスもいました。

     

    さて、この手の掛からないボスですが、オフィスにやってくると手が掛かります(-_-;)

    もちろん、東京の色々なスタッフとのミーティングがびっしりと組まれているんですが、朝から晩まで完全にスケジュールを埋めていても、何かの拍子に時間が空くことがままあります。

    空いた時間でどこかに遊びにいってくれるか、応接室ででものんびりお茶でもしていてくれると良いんですが、まずそういうボスには今までお目に掛かったことがありません。

     

    フラフラとオフィスを歩き回って、ディーリング・ルーム(IDカードで一般社員は立ち入り出来ません)の入り口の窓からにこやかに手を振って

    「おーーい。入れてくれ」

    と言う事になります。

     

    確かに、ヴォータンは10月に本社に行った時、ちょっと秘書にお願いして、アポ無しで彼の部屋に行って色々と話をしてきたんですが、今度は逆襲されてしまいました。

     

    実は、ヴォータンはディーリング・デスクとは別に個室を持っているんですが、日頃はほとんどそっちには座らずに、スクリーンとボタンが並んだディーリング・デスクに座っています。

    ボスは、そこにやってきて、空いているイスを自分でゴロゴロころがして持ってきて、隣に座り込んで、、、、世間話

    「こんなごちゃごちゃしたところじゃなくて、ちょっと、お前の部屋に入ろう」

    なんて言わないですね

     

    そんな偉い人がいきなりくると、緊張して、(_)、、と思うでしょ。

     

    実は、あんまり気を使うことがありません o(*^^*)oエヘヘ!

    ヴォータンの会社の今の隆盛の基礎を作って来た人には間違いないんですが、非常にフランクで、仕事の話だけでなく、デスクに飾っている家族の写真を見つけると、後はお互いの家族の話をしたり、休暇に何をやるかを話したり、、、

     

    長い間外資系(と言っても、米系だけですが)に勤めていて感じるのは、

    「上の人間が下に気を使う」

    と言うことです。今のボスに限らず、これまで何人も遣えたボスは、一人の例外も無くこちらに気を使ってくれました。

     

    ちょっとクールな言い方をすると

    「上に立つ人間は、部下に気持ちよく働いてもらわないと自分の成績が上がらない。若しくは会社の業績が上がらない」

    と言うことです。

    例えば、一度も会ったことが無いのに、部屋に入ってくるなり

     

    「ha----i, Wotan-san, nice to meet you」

     

    と言って、後延々と私の東京での業績を詳細に誉めてくれたボスがいました。

       

    恐らく、事前に顔写真とプロフィールを取り寄せて、飛行機の中で一生懸命暗記してきたんだと思います。

    そうとは分かっていても、やはり嬉しいものですね。

     

    まあ、ヴォータンも自分の部下には、ずい分気を使ってきたつもりですが、、、ドモドモ

    (^-^ )

     

    金融機関だけしか見ていないので、見方が偏っているかもしれませんが、ヴォータンが今までにあった経営者は、例外なく優秀でした。

     

    外資系では偉くなればなるほど忙しくなります(日本の銀行では偉くなるほど、現場からどんどん離れていって、宴会や会議しか能がなくなっていた気がします、、、)。

     

    その、忙しい仕事を見事にこなし、かつ明確なビジョンを持ってこちらに接してきます。

     

    従って、こちらもそのビジョンに向かって何をするべきかが明快ですから、極めて快適に仕事が出来ます。

     

    カルロス・ゴーン氏に関しては、色々と毀誉褒貶があるようですが、経営者として明確なビジョンを示し組織全体を引っ張ったと言う点で、日本の一般的な経営者との違いを感じる方は多いと思います。

     

    今、外資による買収を阻止しようと汲汲としている会社が多く見られますが、あれは本当に外資に買収されると会社がダメになる、従業員が不幸になると考えてバタバタしているのではなく

    「経営者の保身」

    の為に手を尽くしている様にしか見えません。

     

    今、買収されるような会社の経営者は、ほぼ間違いなく買収後は経営者の地位を追われる程度の能力しかありませんから。

     

    「いいものだけを世界から」

    は、ヤナセの企業理念と聞きましたが、

    「いい経営者を、世界から」

    輸入すると、日本の従業員はもっと幸せになれると思います。

     

    「経営者サラリーマンの成れの果て」

    では、何のビジョンも出てきませんから、従業員は浮かばれませんね。

     

    +++++++++おまけ++++++++

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    2008年2月16日 (土)

    留学生を買い負ける日本

    「人間を買い負ける」等と言うと失礼かもしれませんが、要するに世界的に人材の流動性が高まる中で、優秀な人材の取り合いが激しくなり、我々から見れば「卵」レベルの学生にまで及んでいると言う話です。

    すでにある程度の能力が確認されている学者、研究者、ビジネスマンと言うレベルでは、世界的な人材の取り合いは激しく、日本が企業レベル、学者レベルのいずれでも大幅に負けていることは明らかなのですが(尚、政治家はスタートラインにすら立てませんから問題外です)、学生レベルで取られてしまうとなるとこれは一大事です。

    911以降、アメリカへの留学生は激減しました。無能の象徴の様に言われますが、実はブッシュ政権はこれに危機感を持って、一昨年大学関係者とホワイトハウス(ライス国務長官が出ていたと思います)が集まり「教育サミット」を開きました。

    その結果、政府は議会に働きかけて留学生ビザの取得を簡素化し、各大学は海外の優秀な留学生がスムーズに入れる様に様々な取り組みを行ってきています(元々、積極的でしたが)。

    「フルブライト」と言うと、戦後多くの日本人がお世話になったことで懐かしい響きがありますが、いまもこの奨学制度はちゃんと生きています。

    昨年、このフルブライト奨学制度はなんと、期間5年、年間支給額16万ドル(大体1700万円ぐらい)と言う特別奨学金制度をスタートしました。

    どうも、一般のアメリカ人があまり得意でない理工系のドクターレベル以上が対象らしいのですが、それにしてもすごい金額です。

    しかも、アメリカの大学は研究環境が優れている上に、卒業後に活躍する場が広い為に海外からの留学生にとっては魅力が高い様です。

    もちろん、イギリスも負けていません。と言うより、イギリスの方が早く(2002年頃から)手を付けていて、それに負けかけたアメリカが最近になってネジを巻きなおして反撃に出たと言った方が正しいかもしれません。

    金の話にばかりなって恐縮ですが、稼ぎの無い学生が授業料や生活費を払って勉強する訳ですから、どうしても奨学金の問題は避けて通れません。

    ケンブリッジ大では、毎年100人以上が年間3万ポンド(大体650万円くらい)の奨学金を受けることが出来るそうです(どうも授業料だけでなく、生活費の一部もカバーしているらしいです)。

    しかも、英国の大学を卒業した後1年間は手続きなしでイギリスに滞在出来、その間に仕事を探すことが出来れば就労ビザが下りるので、卒業が近くなって学校で学びながら職探しをするなどということをしなくて済みます。

    フランスもドイツも負けじと参戦してきていますし、オーストラリアも政・財・教育界が一緒になって積極的に留学生を取りに走っています。

    日本は、、、、調べてみたのですが、敢えて書くほどのものが無いので省略します(メジャー・リーグと少年野球以上の差があって、書くのが恥ずかしくなったんで)。

    もちろん、優秀な国民ですから敢えて留学生を呼び込んで、我が国に貢献して頂かなくても結構と言うことなのかもしれませんが、世界中の優秀な連中と接することで我々自身が啓発されると言うことは多々あるはずです。

    確かに日本に来る留学生の「数」は増えましたが、その多くが「日本語学校」の生徒でバイトに追いまくられていると言う図は、あまりに情けないと思います。

     

    せめて、日本の優秀な高校生が、高額の奨学金をもらって日本の大学を素通りして海外の大学に行きはじめていることに危機感を持つべきだと思います。

    彼らの多くは日本に帰ってきませんし、帰ってきても日本の企業には間違いなく就職しませんから。

    (・・?)ちょっと言いすぎですかね。でも就職しても、長続きしないと思いますよ。

    一度外の空気を思いっきり吸ってきた人達にとって、日本の会社はまさに異次元空間ですから。 

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    2008年2月14日 (木)

    21世紀版「前川レポート」はまっとうでしょう

    スミマセン、しつこく「前川レポート」ネタです ;)

    何度も申し上げている通り、前川レポートが「目的と手段のド勘違い」をして、「黒字減らしと言うお馬鹿な目的」の為の「手段」として挙げていることを、「目的とは無関係に」実行することには、ヴォータンは大賛成です。

    まだ、あの「手段」はちゃんと実行できていませんから、「黒字減らし」の部分だけ削ってレポートにすれば簡単だと思うんですけどね(*^-)vィェィ

     

    さて、21世紀版「前川レポート」が、またド勘違いのものにならないかと心配していたのですが、今回は大丈夫の様です。

    まだ正式発表ではありませんが、21世紀版「前川レポート」専門調査会の会長には、植田和男東京大学教授が就任される様です。

     

    植田先生には、「ゼロ金利との闘い」と言う日銀審議委員を退任された後に書かれた本があります。ちょっと難しい内容ですが、金融政策にご興味のある方はお読みになって置かれたほうが良いと思います。

    ゼロ金利との闘い―日銀の金融政策を総括する Book ゼロ金利との闘い―日銀の金融政策を総括する

    著者:植田 和男
    販売元:日本経済新聞社
    Amazon.co.jpで詳細を確認する

    実は、植田先生が日銀審議委員を退任された直後になさった講演会を拝聴したことがあります。

    この講演会は、今までにヴォータンが聞いた中で最高のものでした。内容が生々しくて面白いと言うこともありましたが、何よりも非常に論旨が明快で分かりやすかったことが印象に残っています。

     

    おまけですが、大学に戻られた後のことですが、東大のそばの寿司屋のカウンターで偶然ご一緒したことがあります。

    経済史の岡崎哲二先生(私の一年後輩です。面識はありませんでしたが)と一緒に食べていらっしゃったのですが、最後に我々と植田先生、岡崎先生の4人だけになったところで、ご主人が紹介して下さって色々とお話をさせて頂きました。

    講演会の時の堂々とした話ぶりとは違って、結構シャイなしゃべり方をされるので驚いたのですが、それ以上に「二枚目」だと思いました(ウーーーン、負けたかも、、(___ ___ ;)尸マイッタ

     

    本来は、福井「ド素人」総裁の後任と言う話もあってよさそうなんですが、何やら「下半身」の問題で流れたと言う噂を聞きました。

    納得;)

     

    でも、フランスのサルコジ大統領や歴代大統領は、結構下半身は危なかったのですが、誰もそのことを問題にしませんでしたよね。

    戦前の日本では、国会答弁で

    「あなたは、新橋その他に妾を5人も囲っていると言うではないか!」

    と追求された大臣が

    「○○先生は、5人の妾を囲っていると仰ったが、正確ではなくまったく失礼な話だ。正しくは6人である!」

    と答弁したと言う話がありますが、ヴォータンは無能な清潔な政治家より有能な政治家の方が良いと思うのですが、、、、、 (=^^=)

     

    さて、まだ何も出て来ていない段階で論評するのも何ですが、まっとうなマクロ経済学者の植田先生が会長となられる限り、「黒字減らしを目的にする」などと言う恥ずかしいレポートは出て来ないですね。

    内容に期待したいと思います。

     

    これまでの「前川レポート批判」にご興味のある方はこちら↓をご覧下さい。

    http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_3a3b.html

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    2008年2月10日 (日)

    前川レポートの恥ずかしい中身(再論)

    大田弘子経済財政担当相は、竹中平蔵氏の改革路線を引き継ぐ役割を担っていると言われていますが、先日の国会での経済演説で

    「日本は最早経済一流と呼べない」

    と言ったことに象徴される様に、どうも人の上に立つ(大臣とはそう言う役目ですよね)だけの器量と度胸に欠ける方のようです。

    さて、福田政権はその施政方針演説に「構造改革」と言う言葉が一度も出なかったことにこれも象徴される

    「何もしない内閣」

    と言う評価をせざるを得ません。まあ、せいぜい一般企業の課長クラスの器量の人が総理大臣になってしまったと言うことでしょう。

    議院内閣制の限界とは言え、非常に残念です。

    日本株の下落の原因は、ここ数年大幅な買い越しを続けていた外国人投資家が売りに回ったためですが、これは単に「サブ・プライム・ローン問題」があったからだけではなく、日本に夢を見ることが出来なくなったことによります。

    その証拠に8月以降の株の下落率は、日本の金融機関の信用リスクを取り扱う能力の無さのおかげで、一番サブ・プライム・ローン問題の影響を受けなかったはずの日本が一番大きくなってしまっています。

    逆に、アメリカの金融機関にはあっちこっち外から資本が入っていますよね。これが「評価の差」です。

    蛇足ですが、国会の論戦のレベルの低さは相変わらずで情けない限りですが、政権自体に

    「国家としてどういう方向に行こうとしているのか」

    と言うビジョンが欠けている訳ですから、野党の追及するポイントもマッサージチェアやカラオケセットにならざるを得ませんね。

     

    その大田弘子財政経済担当大臣が、

    「日本経済の状況が芳しくないのは、賃金が上がらず個人消費が盛り上がらないからだ」

    と述べたついでに

    「内需拡大について画期的な提言であった『前川レポート』を振り返り『新・前川レポート』を作る」

    と言う趣旨の発言をしていました。

     

    しつこいようですが、これまでに何度も「前川レポート」が基本的な間違いを犯していた為に、日本を好ましいと思わないクリントン政権に悪用され、90年代の日本(特に日本の企業人)がどれほど苦労させられたかを述べてきましたが、丁度よい機会なのでまとめだけを書き留めさせて頂きます。

     

    1)手段と目的の勘違い

    前川レポートには、確かに

    あ)自由貿易体制維持

    い)規制緩和

    う)民間活力の活用

    え)消費生活の充実

    と言った、素晴らしい言葉が並びます。

    確かにこれらは日本人が豊かな生活をする為に絶対必要なものですから、これを「政策目的」とするレポートならばヴォータンもまったく依存ありません。大賛成です。

    しかし、前川レポートはこれらを「黒字べらしの手段」として述べており、レポートの趣旨は一貫して

    「日本は黒字を出して申し訳御座いません。この様なことに努めて、黒字減らしをして皆様にご迷惑をお掛けしない様にします」

    と言うものです。

    つまり、本来「目的」であるべき国民生活を豊かにする為のこれらの方策が、ただの黒字減らしの「手段」となってしまっている訳です。

    「本末転倒」どころか、その「目的」自身が間違っているのですから、国民にとってはもっと悪い話ですので、まったく「踏んだり蹴ったり」です。

     

    2)黒字が「勝ち」でもなければ、赤字が「負け」でもない

     

    これは、学部レベルの国際経済学で学ぶことです。単にそれぞれの国の貯蓄と投資・消費のバランスの問題ですから、「勝ち」でも「負け」でもありません。

     

    ましてや、

     

    「黒字国は儲けすぎ。一人勝ちは嫌われる」

     

    などとド勘違いし

     

    「減らす努力を致します」

     

    などという必要のある話ではまったくありません。むしろ赤字国が自国通貨の減価(もっと言えば紙切れ化)を恐れて、努力すべき問題でしょう。

     

    尚、大田弘子大臣の経歴を拝見すると

  • 1976年 一橋大学社会学部卒業(南博ゼミナール)
  • 1976年 株式会社ミキモト勤務
  • 1981年 財団法人 生命保険文化センター研究員(-93年)
  • 1993年 大阪大学経済学部客員助教授
  • 1996年 埼玉大学大学院政策科学研究科助教授
  • 1997年 政策研究大学院大学大学院政策研究科助教授
  • 2001年 政策研究大学院大学大学院政策研究科教授
  • となっていますので、「教授」ではいらっしゃった様ですが、国際経済学は学んだことが無いかとお見受けします(と言うより、経済学を理論的に学んだことは無いのではないでしょうか?)

    前川レポート作成時の実際に作文をした官僚達と同様のド勘違いをなさらない(前川二世となられない)ことを祈るばかりです。

    この点については、これまでのレポートで詳細に述べましたので、そちらをご参照下さい。

     

    3)前川レポートの経済学的誤り

    「黒字を減らす」と言う目的を一生懸命考えて、

    「相手国が発展して輸出を伸ばせば日本の黒字が減るであろう」

    と言う程度の発想だったのでしょう、

    「(黒字減らしの為に)海外投資を積極的に促進するべきである」

    と言うくだりがあります。

    これが、経済学的にまったくの誤りであることは間違いありません。実は、前川レポートでも「近年海外投資が活発化し、、、」と言う事実を確認しています。

    これ(資本輸出)こそが日本の黒字の元なのに、それをさらに促進して「黒字を減らす」と言うのでは、何をか言わんやです。

    一般の皆さんは、こんな七面倒くさい経済理論の話に付き合う必要はありませんが、政策当局者がこれでは、国民を間違った方向に誘導してしまいますので失格です。

     

    4)国益を害した「前川レポート」

    百歩か千歩譲って、理論的な間違いを見逃してやるとしても、その「黒字減らし」を目的とした」と言うとんでもない間違いだけは看過出来ません。

    前川レポートと言う形で、日本の「所信表明」が出た為に、クリントン政権は大喜びで日本に対して「保護貿易主義」的な理不尽な要求を突きつけて来ました。

    前川レポートにご興味をもたれて、このブログに辿り着かれた方も多いと思いますが、むしろその後「日米構造協議」と言うとんでもない馬鹿な議論をやって、どれほど日本の国益を損ねたかを研究される方が良いと思います。

    小宮隆太郎先生は、さぞかし嘆いていらっしゃると思います。

    ご参考までに

    「前川レポートの恥ずかしい中身(再録)」

    http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_2872.html

     

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    2008年2月 3日 (日)

    古紙偽装事件と環境問題

    以前「リサイクルは資源のムダ使い」と言う面白い本を紹介させて頂きました。

    http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_31d8.html

    その時に指摘した、

    「ペットボトルやトレーに代表されるプラスチック類は、燃料として使う方が正しい」

    と言う意見が正論として通り始めました。

    ヴォータンの住んでいる東京都文京区では一部モデル地域に限定していますが、これまでの不燃ゴミを可燃ゴミとして捨てる様ルールを変更しました。

    文京区の「ごみニュース第5号」で

     

    これまでの不燃ごみのうち、プラスチック製品・ゴム製品・皮革製品を可燃ごみの収集日にお出しください。

    重量で約7割の不燃ごみが可燃ごみに移行しています。分別のルールを徹底して、埋立処分するごみを減らしましょう!

     

    と呼びかけています。まだ、

    「ほとんどのリサイクルは実は資源のムダ使いです」

    とは認めていませんが、大きな一歩だと思います。

     

    ところで、わが国のほとんどの製紙会社が古紙の配合率をごまかしていたと言うニュースが世間を騒がせました。

    最初にこのニュースを聞いた時は、バージンパルプを使わずに古紙を余計に混ぜて、品質的に劣る製品を売ったのか?と思ったのですが、よく聞くと話は逆です。

    定められた割合だけ古紙を使って、求められた品質の紙を作る為には、非常に高度な技術が求められるだけでなく、かなり余分なコストが掛かります。

    以前、TVで古紙の再生工場のルポをやっていたのですが、大量の水で洗浄し、漂白剤を投入しボイルし、、、と言った具合で、実はバージンパルプよりも多くのエネルギーを使うと言うことが分かりました。

    しかも、古紙の回収作業にもコスト(エネルギー)を使っていますね。

    エネルギーを余計に使いますから、実は環境にやさしくないと言うことはすぐにお分かり頂けると思いますが、ヴォータンの様な経済学徒からすると、もう一つ

    「規制により余計なコストを掛けている」

    と言う点で、この古紙利用は「資本」と言う資源をムダ使いしているので認められるものではありません。

     

    2001年に「グリーン購入法」と言うまったくお馬鹿な法律を作った為に、本当に環境保護にプラスかどうか分からないことをあちらこちらでやることになってしまっています。

    今の環境問題の議論は、よくよく気をつけないと

    「お上が決めた基準で経済活動を行なう」

    と言う、大失敗した社会主義計画経済と同じ道を歩む危険性があります。

     

    そもそも、古紙やペットボトルの再利用が本当に環境保護に資するのかどうかと言う点をきちんと定量的に分析した形跡がありません。

    よく、

    「このリサイクルで○○リットルの原油の節約になりました」

    と喧伝しているものを見かけますが、ほとんどものものはその直接的な効果だけを計測しており、間接的な効果まで含めて経済全体でどれだけ資源を節約し、資本を節約し、効率的な社会となったかまでは評価されていません。

    たとえば、広島市は水素エネルギーで走るロータリーエンジン車を導入しました。

    確かに、水素は酸素と結合(つまり燃焼ですね)するとH2O(水)になりますから、今問題の二酸化炭素や窒素酸化物は出ませんから、究極の環境にやさしいエネルギー源の様に思えます。しかも、水の構成要素ですから、世の中には無限にある様に思われます。

    しかし、話は違います。水を酸素と結合させてエネルギーにした後で水になる訳ですから、これが何もしなくてもまた元の水素と酸素に分かれてくれるなどと言ううまい話はありません。

    水に含まれる水素を取り出すには、何らかのエネルギーを使って水素と酸素の分離をしないといけませんから、この時点でおそらく原油なりなんなりの資源を使うことになります。

    つまり、燃料用水素の製造段階でエネルギーを使い、さらに二酸化炭素などを排出し、しかもそこで投入したエネルギーより少ないエネルギーしか使えませんから、なんら環境にやさしいものではありません。

    ついでに言うなら、広島市はマツダからこの車をリースしたそうですが、なんと月額42万円。普通の車なら3万円ぐらいでしょうから、とんでもない税金のムダ使いです。

    ついでに脱線すると、

    「地球温暖化で北極の氷が溶けて水面が上がる」

    などと報じているメディアがありましたが、アルキメデスの原理をまじめに勉強しなかったんでしょうね。自宅で、コップに氷と水を入れて水面に線でも引いて半日も置いておけば、水位が変化しないことは一目瞭然です。

    この報道をした記者は、学校で理科の勉強をしなかったんでしょうね。

    また、水位が上がってツバルやベニスが水没していると言うTV報道もありましたが、どちらも地盤沈下によるものであることは、きちんとした調査で明らかになっています。

    ついでに言うと、

    「北極の氷はヴォータンの言うとおりだろう。でも、地球温暖化で南極の氷が溶けると、水面より上の氷が水になるから水位が上がる、、、」

    と言うのも間違いですね。

    南極大陸は零下何十度と言う世界で、周りを海(水)に囲まれていますから、地球温暖化で海水温が上がれば、今より多くの水蒸気が上がり、それが南極大陸の上で氷になりますから、むしろ氷は増えるはずですから、水位は下がります(程度の問題ですが)。

     

    どうも「環境の為」と言うとなんでも通ってしまう、今の風潮には薄気味悪さを感じざるを得ません。

    ヴォータンの様に、「経済」と言う視点から今の環境問題への取り組みを見ると、この環境問題で稼ごうとしている輩が見え隠れして仕方がありません。BSEの時もそうでしたが、

    「税金を使って何かをやる」

    時には、裏に何かあるぞと疑って掛かるべきだと思います。

     

    我々に出来る一番環境にやさしい生き方とは、資源の消費スピードを出来るだけ落とすことではないかと思います。今、日本が取り組んでいる「省エネ」は基本的には正しいですね。

    ヴォータンの会社(アメリカ系です)ではクリスマス・カードをやめ、E-メールに切り替えました。日本でも年賀状をやめて紙資源を大切にしよう!となりませんか?

    +++++++++おまけ++++++++

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    2008年1月22日 (火)

    前川レポートの恥ずかしい中身(再録)

    皆様、あけましておめでとう御座います(-;)(-_-;) オイオイ...

    申し訳ありません。年初から忙しくてまったく書けていませんでした。題材はいっぱい揃っていたんですが、やはり現役に戻ると、、、

    特に、この時期は外資系企業は年に一度の査定やらなんやらで、、

    と言うことで、まだちゃんと書く時間がないのですが、最近「前川レポート」云々と言う記事からご興味をもたれた方が多い様ですので、昨年と今年に書いたものを再録させて頂きます。

    間違っているものは、間違っていると言うことで、、、

    http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_e131.html

    2006719 ()

    前川レポートの恥ずかしい中身

    前川レポートって何?

    と、いきなり突っ込まれそうなんですが、「ド素人」とみずからを称した現役の日銀総裁をこのブログで批判して、ついでに皆さんとmixiでコメントしあっているうちに、今から20年近く前のことですが、もう一人「ド素人」の「国際金融の専門家」総裁が昔いたことを思い出しました。

    そのことを書いたのですが、皆さんが当時の雑誌・新聞を検索したら「高い評価をされていた」と言う記録が多かった為、何故ヴォータンが「ド素人」と呼んだのか戸惑った方が多いようです。

    実は、「前川レポートの馬鹿馬鹿しさととんでもない勘違い」が、その後どれほど日本の国益を損なったかは、東京大学・青山学院大学で教鞭をとられた小宮隆太郎先生が、

    「貿易黒字・赤字の経済学」-日米摩擦の愚かさ(日本経済新聞社 1994)

    で、きちんと総括していらっしゃるので、今更ヴォータンが付け加えるまでも無いのですが、出来るだけ噛み砕いてご説明申し上げようと思います。 

    <いきなりまとめ>

    前川レポートには、自由貿易体制維持・規制緩和・民間活力の活用・消費生活の充実と言った素晴らしい言葉が並びます。確かに、これらは日本人が経済的な豊かさを享受する為に必要なことですから大賛成ですし、これ自体を非難するつもりは毛頭ありません。

    しかし、問題なのは、これらのことをすべて「黒字減らし」の為にやらねばならないと言う「手段」にしてしまっていることです。

    自由貿易体制維持・規制緩和・民間活力の活用・消費生活の充実こそ、「目的」であって、日本人自身の為に、外国にとやかく言われるまでも無くやるべきことです。

    「黒字減らし」は目的にも手段にもならない妄言です。

     

    ――ここから下は、今日は退屈ですよ(――;)――

    まず、意外に聞こえるかもしれませんが、経常黒字が「勝ち」「得」「儲け」で、経常赤字は「負け」「損」と言う考え方は、まったくの間違いです。ここから出発して下さい。

    前川レポートは、冒頭から一貫して、

    「日本は黒字を出して一人勝ちして、申し訳御座いません。悪いのは日本国・日本国民で御座います。今後この様に悔い改め黒字減らしに勤めます。」

    と言う内容のオンパレードです。

    何しろ、つい前年まで日銀総裁を務めた人物が、中曽根内閣の意を受けて、まとめた報告書ですから、まるで日本政府の公約の様にみえました。

    そこを無知蒙昧な(フリをした)狡猾なアメリカ人に突っ込まれて、その後の日本嫌いのクリントン政権時代には、日米構造協議などで内政干渉を繰り返され、日本企業は買いたくも無い劣悪なアメリカ製品を無理矢理買わされるなどしてひどい目にあいました。

    外国製の半導体シェアの「数値目標」なんていう代物があったんですよ。

     

    さて、この勝ちでもない負けでもない経常収支とは何でしょう?

    国全体の所得 ― 国全体の支出 = 経常収支

    です。?これじゃ分かりませんよね。分解すると、

    国全体の所得 = 消費 + 貯蓄 + 税金(国の収入)

    国全体の支出 = 消費 + 投資 + 国(政府)の支出

    これを最初の式に代入すると、

    貯蓄 ― 投資 + 税金(政府の収入) ― 国(政府)の支出 = 経常収支

    つまり、